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更新日:2017年7月6日 過去記事はコチラ ■2017/7/6 生放送中に拳銃自殺した女性アナウンサーの真実『ケイト・プレイズ・クリスティーン』 今年の1月29日、渋谷ユーロライブで1日限定上映された、chunfu film配給のアメリカ映画『ケイト・プレイズ・クリスティーン』(原題:Kate plays Christine)が7月15日より、渋谷アップリンクで一般上映されます。生放送中に自殺した、実在する女性TVキャスターの実像を、虚実ない交ぜの手法で描いた野心作をご紹介させていただきます。 ※作品のオチ近くまで触れています。あらかじめご了承ください。 ※本稿はメルマガ『映画の友よ』に寄稿した内容の短縮再掲載です。 ◇お茶の間に流れた拳銃自殺映像。怒りが銃に託される時 1974年7月15日、アメリカはフロリダ。ABC系列の地方局で流れる情報番組「サン・コースト・ダイジェスト」は、その日もお茶の間にローカルニュースを届けていた。番組のキャスターを務める、29歳のクリスティーン・チャバック(Christine Chubbuck)は通常どおりの進行でニュースを伝えていくが、機器の故障により、あるニュース映像が流れないハプニングが発生。彼女は慌てる様子もなく冷静に、視聴者へ向かって語り出す。「チャンネル40には、最新の流血映像をお届けするポリシーがあります」。 そして、彼女はデスクの下から38口径の回転式拳銃を取り出し、「初公開の自殺の瞬間です!」と宣言した直後、自らの頭を撃ち抜いた。彼女はその日、同僚に「今日の放送を録画しろ」と言っていた。 ……というのが、事件の大まかなあらまし(これは現実に起った事件です)。本作は自殺したクリスティーンの人物像と事件の起きた背景を、女優のケイト・リン・シエル(『V/H/S シンドローム』『サクラメント 死の楽園』)がクリスティーンを演じるために役作りを進める過程と平行して追った、ドキュメンタリー。 クリスティーンの人間性を取り入れ、髪型や肌の色までも似せていくうちに、ケイトの精神にも変調が現れだします。今スクリーンに映っているのは、ケイト本人なのか、それともクリスティーンを演じるケイトなのか、判然としない虚実を混ぜ込んだ構成。実在の人物を役者が演じる過程を追ったドキュメンタリー自体はそれほど目新しいものではないため、やはり興味の中心は、「生放送中に拳銃自殺したアナウンサーの動機と人間性」に向かっていきます。 局の元同僚らに話を聞いていくうち、クリスティーンには以前から精神的に不安定なところがあり、また成就しない恋愛関係や満足のない性生活にも悩んでいたことが明らかに。自殺の要因は単純な一つの事柄だけではないですし、性的に不満足という部分にことさら注目するのは偏りがあるかもしれませんが、それでも僕はここが一つのポイントに思えました。 アメリカの数多ある銃乱射事件や日本でも度々発生する通り魔殺人の犯人は、ほとんどが男性。彼らは事件前、異性への憎悪を抱いていたり、性生活に満足できない日々を送っていたことが指摘されることが多くあります。彼らの怒りや怨念が爆発した時、それは時として銃やナイフという武器に宿り、 その矛先を外部の社会へ向ける。もちろん、自殺と殺人はまったく別物ですが、極限まで溜まったフラストレーションが武器による流血となって発散されるという意味では共通しています。 クリスティーン事件の2年後に公開されたアメリカ映画『タクシードライバー』は、女性からまともに相手にされない生活を送る男・トラヴィスが、都会の孤独の中で苦しむ様子が描かれる物語。女性に幻滅した彼は銃の魅力にとり憑かれ、挙句は大統領候補暗殺計画を企て、大量殺人を引き起こします。 この映画は世界中に衝撃を与え、映画に影響を受けた模倣事件まで起きました。映画公開よりも前、トラビスと同様に孤独と仕事のストレスで苦しんだクリスティーンは、社会を震撼させるための銃による自殺計画を実行しました。ドキュメンタリー作家マイケル・ムーアが銃社会アメリカを取材した『ボウリング・フォー・コロンバイン』(99)でも、銃犯罪と性別の関連には特別触れられなかったので、一般論としてヘタに扱うことのできないデリケートな内容なのかもしれません。 だからこそ、個人への探求である『ケイト・プレイズ・クリスティーン』では、クリスティーンの実ることのない恋愛という観点と拳銃自殺の因果関係にもっと突っ込んでほしかったです。 ◇74年という時代だからこそ伝説となった自殺事件 クリスティーンを知る旅は続きます。そもそも、彼女の拳銃自殺をした瞬間の映像は残っているのか。当時の番組で使われた映像素材は残っておらず、所持している関係者も見当たらない。1本だけテープは存在しており、当時の社長が保管していたらしいとの証言を得ることはできましたが、結局、真相は謎のまま。 これは74年という時代だからこそ起こり得たこと。家庭用のビデオデッキが普及し始めたのは、70年代後半から80年代以降のため、74年当時に録画機器を所持していた家庭は、ほぼありませんでした。しかも、映画やドラマではなく、地方のローカルニュース番組を録画しているなんて、まずあり得ない。 ビデオ普及後やネット社会の今では、すぐさま拡散され、数ある衝撃映像の一つとして消化されていたでしょう。実際に流されたが、それを収めたテープの所在は不明。誰も見ていないからこそ、こうやって映画の題材になるまでの存在となった衝撃映像。 クリスティーンの自殺映像を生で観た人は多くはいなかったでしょうし、実際、当時は特に話題にもならずにすぐ忘れられた事件だったという証言も出てきます。社会に衝撃を与えるクリスティーンの思惑は外れましたが、時を経て、「誰にも見られなかった」ことで逆に伝説と化しました。ケイトはテープがあっても見ないと言います。しかし、見る見ないに関わらず、テープの存在はその真偽も含め、クリスティーンを知ろうとする人間全員の心をいつまでも揺さぶり続けるのではないでしょうか。 ◇旅の終わりに。作り手と観客の共犯関係の果てにあるもの 撮影の終わりには、ケイトがクリスティーンの最期、つまり拳銃自殺の瞬間を演じる場面が用意されています。この最後は、作り手も観客も始めから分かっていたことで、クリスティーンの実際の自殺映像を観たいとは思わないスタッフや観客も、「ケイトが演じるクリスティーンの自殺」は見届ける必要があると心しています。 このラストのために本作が製作されたといってもよく、観客もまたこのラストを観るために客席に座っているのです。いわば共犯関係にも似た、自殺の再現シーン。カツラの内側に血糊が飛び出す仕掛けを施されたケイト。彼女はニュースデスクに座り、その瞬間を演じようとしますが、何度もためらってしまい、撮り直しの連続。何度目かの本番でケイトは拳銃をカメラ(=観客)に向けて、叫びます。 「何でこんなものが見たいの!? 人が死ぬ瞬間が本当に見たいの!?」 そして、銃口を自らに向けて…。 と、ここから先は是非とも劇場でご覧になってください。 最後に『ケイト・プレイズ・クリスティーン』を配給したchunfu filmについて。この映画上映団体は現在、藤川氏と上條氏の2名で活動しており、2016年4月に第一回配給作品となるロシア映画『Bite the Dust/バイツァ・ダスト』(2013)を上映。はじめに東京・渋谷のアップリンクファクトリーで1日限定の上映を行い、2017年1月には愛知県の刈谷日劇でもスクリーンにかかりました。そして、第二弾配給作品となるのが『ケイト・プレイズ・クリスティーン』。多くの人にご覧になっていただきたい衝撃作です。 『ケイト・プレイズ・クリスティーン』 2016年アメリカ映画 監督:ロバート・グリーン 出演:ケイト・リン・シール サンダンス映画祭2016 ドキュメンタリー部門 審査員特別賞 脚本賞 ベルリン国際映画祭2016 フォーラム部門公式出品作品 公式サイト ■2017/6/10 見事に狂い咲いた、狂乱の9日間!「カナザワ映画祭2016」レポート!(完全版) ※本稿は、2016年に最終興行として銘打たれた「カナザワ映画祭2016」のレポートです。メルマガ「映画の友よ」に昨年掲載された内容を一部加筆修正の上、こちらに再掲いたします。カナザワ映画祭は今年も開催されることが発表されておりますが、昨年ファイナルとして銘打たれた際の熱気をそのままに当時の熱狂をお伝えできれば幸いです。 ------------ 毎年、レポートしてきたカナザワ映画祭が10年目を迎える今回でなんとファイナル! 2012年から上映会場として使用してきたホール(かつては映画館「ロキシー劇場」や「金沢ニュー東宝劇場」だった)を持つ金沢都ホテルの再開発に伴い、会場がなくなってしまうことが理由とのこと。そのため、来年はないものとして今年は出し惜しみなしの狂い咲き! 開催期間は過去最長の9日間、上映作品は50本を超えます。投票で募ったオールタイムベストリバイバルや豪華ゲスト出演のトークイベント等、内容も盛りだくさん。僕もさすがに全日参加はあきらめ、それでも一旦東京に戻った翌々日にまた金沢入りし、合計で7日間参加してまいりました。今回の寄稿では、カナザワ映画祭2016狂い咲きレポートをお届けします! ◇そもそも、カナザワ映画祭とは何か? 日本で最もロックなムービーフェスティバル! カナザワ映画祭は石川県金沢市で「かなざわ映画の会」が毎年主催している、2007年に始まった映画祭。「かなざわ映画の会」代表の小野寺生哉氏を中心に、有志によるボランティアスタッフで運営・開催しています。映画ファンを魅了してやまないのは、上映作品のセレクト。「史上最も怖い映画」として伝説になっている『シェラ・デ・コブレの幽霊』(TVドラマのパイロット版で、日本では地上波放送されたのみ)の野外上映や、俳優クリスピン・グローヴァーが監督した「It」シリーズを、本人立会いの下でしか上映できないため、グローヴァー本人を招いての日本初上映(かつ現時点で唯一の日本上映)等、カナザワ映画祭での上映を逃したら、もう観られないであろう作品やイベントの多いこと。ネットが普及した時代に「映画は足で稼ぐもの」という原点の教えに気づかせてくれます。2013年のギミック上映特集では、ホール試写一回でしか実施されなかった『ファンタズム』の「ビジュラマ方式」や、ギミックの帝王ウィリアム・キャッスルが『ティングラー』で仕掛けた「パーセプトウ」を完全再現するトチ狂った偉業を成し遂げました。昨年は新鋭・小林勇貴監督の『孤高の遠吠』最速スクリーン上映に、本邦初公開の大陸版マッドマックスな中国映画『無人区』等、これまた濃いラインナップでした。 常に世論を震撼させる攻めの姿勢は健在。今年のキービジュアルはこれ。 輝く旭日旗がクールですね。今回も様々な特集テーマを組んでいますが、戦争映画の特集タイトルは「戦争(映画)だ〜い好き!」。映画ファンには説明不要だと思いますが、これは『沖縄やくざ戦争』で千葉真一が発したセリフ。しかし、ポスターに旭日旗が使われていることもあり、一時期ネット上で炎上騒ぎに。上映作品のラインナップを見れば、偏った思想信条や政治的主張がないことはすぐ分かるはずなんですが…。 真の映画ファンたちはネットの炎上騒ぎなど気にも留めず、今年も全国から猛者たちが金沢の地に集結。僕も映画祭サポーター(優先入場などの特典あり。普段、参加する映画祭に賛同金を払うことはまずないのですがカナザワ映画祭だけは別)として参加し、またパンフレット校正や作品紹介英訳等、多少のお手伝いもしました。映画祭前日の夜に新宿から長距離バスで出発して、早朝に金沢到着。出発前まで仕事をしていて、寝不足の状態ではありますが、栄養ドリンク片手に狂い咲きの映画鑑賞に臨みます! ◇YUYA IS BACK! 初日は裕也さん降臨で狂喜乱舞の会場! 会場となるのは、金沢駅近くの金沢都ホテル地下・セミナーホール。元映画館の特性を活かした、巨大スクリーンにソファー椅子、収容可能人数272席の設備は映画祭に最適。 カナザワ映画祭会場の様子。壁にはファイナルを記念して歴代ポスターが飾られています。右上の写真は映画祭サポーターに配布されるクールなピンバッジ。 オープニングを飾るのは内田裕也さん特集。『水のないプール』『コミック雑誌なんかいらない!』(日航機墜落事故現場シーンありのフィルム上映版!)と裕也名作劇場が続きます。3本目は、本映画祭のための特別作品『YUYA WORKS』。裕也さんのこれまでのロックな活動や昔「NONFIX」(フジテレビの深夜ドキュメント番組)で放送された、裕也さんがパリの街をひたすら全力疾走する「RUN FOR PARIS」等をまとめた映像集。「RUN FOR PARIS」はVHS録画テープを元素材としており、それが爆音でかかるとVHSの持つ音楽の情報量に驚きます。映像はボヤけて滲んでいるものの、記録オーディオ情報は衰えることなく、デジタルにはないアナログの原初の力強さが伝わってくるのです。 上映後は裕也さんと作家モブ・ノリオさんとの対談。裕也さんは杖をつき、代表の小野寺氏に支えられながら入場。お体の具合は大丈夫なのかと心配しましたが、舞台に上がった途端、踊り出した! いやーエンターテイナーですね。ここからモブさんとのトーク開始のはずが、「アーティストは余計なことを話しても仕方がない」とすぐに帰ろうとする裕也さん。モブさんが必死で止めてくれて、さらに客として来ていた近田春夫らの急遽登壇もあったんですが、それでも当初70分予定のトークが20分くらいで終わってしまいました。とはいえ、短い間ながらも裕也トークは濃密。現東京都知事を「あいつは今、猫を被っている」と批判したり、高畑淳子の息子を断罪したりと言いたい放題。最後は小野寺氏に「自分はニューイヤーズロックフェスを43年続けたんだから、お前も(カナザワ映画祭を)あと4、50年は続けないとダメだ」と叱咤激励。裕也さん、小野寺氏の両氏が手を取り合い、思いが託された場面は涙もの。 (右上)マイクを手に吠える裕也さん。隣は作家のモブ・ノリオ。 (左下)近田春夫(右から二番目)ら関係者と。 (右下)カナザワ映画祭・代表の小野寺氏に思いを託す裕也さん。 ここで今日の劇場での上映は終了。このあとは会場近くの横安江町商店街で、お待ちかねの野外上映が始まります。カナザワ映画祭では野外上映が半ば恒例となっており、過去には史上最も恐ろしいと言われる『シェラ・デ・コブレの幽霊』、未ソフト化の幻のドキュメンタリー『残酷を超えた驚愕ドキュメント カランバ』、ケバケバしい性と暴力のつるべ打ち『ショーガール』、怪獣映画の古典名作『キングコング』(33年オリジナル版)等、野外上映をやるにしても普通の感覚では躊躇してしまう選択が素晴らしい。『ショーガール』を野外上映(場所は誰でも出入り自由な繁華街の広場)でやったなんて、今でも信じられません。そして、ファイナル野外上映に選ばれたのは、日本でも大ヒットを記録した『マッドマックス 怒りのデス・ロード』! しかも上映前には和太鼓チームDIA+と花の宴による和太鼓演奏が実施され、観客のテンションはMAX! この日は朝から雲行きが怪しかったのですが、上映スタート直後から雨がポツポツ、すぐにどしゃ降りへ。劇中、水資源の失われた世界を支配する帝王イモータン・ジョーが愚民どもの頭上に大量の水をぶっかけて恵んでやるシーンがありますが、雨水を浴びながら映画を観ているとリアル4DX感があり、臨場感は倍増。あとで本人から聞いたんですが、上映中に小野寺氏はビショ濡れになっている観客たちを近くのビルから見下ろしていたとのこと。まさにリアルイモータン・ジョー! 皆大好きウォーボーイズのニュークス登場で歓声が上がる等、城下町金沢に響き渡るファンの絶叫も映画の興奮を盛り上げる。野外絶叫リアル4DX上映は大成功で幕を閉じました。 野外上映の様子。どしゃ降りの中、集まったウォーボーイズたち。 野外上映後、金沢の名店・くろ屋で絶品刺身料理をつつきながら、映画仲間たちと映画談義に華を咲かせました。このお店は、昨年トークゲストでもカナザワ映画祭に来られた白石晃士監督から数年前に教えていただいたのですが、いつも予約満席で入れず、映画祭ファイナルの今年、念願叶って入店。日本海の新鮮な海の幸に大満足。 ◇2日目も裕也劇場! そして、ジャパンプレミア二本立て! 裕也さん特集は続きます。2日目の一本目は僕が敬愛してやまない『スーパーGUNレディ ワニ分署』。篠原とおるの劇画を原作に、曽根中生がメガホンを撮った日活映画。同じ篠原とおる原作の反体制女闘美アクション『女囚さそり』『0課の女 赤い手錠』と比べて、知名度はやや落ちますが、狂気の度合いはワニが最も強いのかも。それを担っているのは裕也さんに他なりません。女刑事ものなので、主演は裕也さんではなく、横山エミーとジャンボかおるの二人。犯罪組織に拉致監禁されたエミーが、シャブ中でキチガイの安岡力也さんにオシッコをかけられ凌辱されるシーンは凄まじい。ちなみに今回の裕也さん特集で上映された映画にはすべて安岡力也さんが出演しており、実は力也さん特集でもあったという事実。物語の後半、大物の汚職を知ったエミーとジャンボを消そうと、黒幕の権力者は極悪囚を脱獄させてけし掛けた銀行強盗の現場に二人を派遣。ここが映画の最大の見せ場になります。連続婦女暴行殺人兄弟とガンマニア殺人鬼の極悪脱獄囚3人組がまあ、凶暴、鬼畜、狂ってる。猟銃を持った男が大阪の銀行に立て篭もった実在の”梅川事件”がモデルであろうこの篭城シーンは日活だけあって、エログロバイオレンスが炸裂。古尾谷雅人演じる鬼畜兄弟の弟は、裸にひん剥いた女性銀行員らが用を足すところをデヘデヘと眺め、自身も殺された被害者の体に放尿する(この映画にはやたらと放尿シーンが出てくる)という完全なキチガイ。悪虐要素ゼロで観客ガッカリの『スーサイド・スクワッド』に見習ってほしい凶悪さです。裕也さん演じるガンマニアは渋谷の銃砲店に篭城した“少年ライフル魔”事件がモデルと思われますが、劇中で人質たちに聞かせる演説に惚れ惚れ。「管理社会における必要悪とは何か?」「俺はお前たちを絶対に生きて帰さない。皆殺しだ!」朝から景気がいいですね。 裕也さん特集の最後は『餌食』の超貴重なフィルム爆音上映。今は無き吉祥寺バウスシアターのクロージング前にも上映されましたが、これは小野寺氏がリクエストしたもの。今回、金沢の地で裕也さん特集の最後を飾る作品に選ばれました。低音のレゲエサウンドが腹にドシドシ食い込み、裕也さんの感情とシンクロしていく観客たち。腐敗した音楽業界と浮かれた世間への怒りが爆発し、裕也さんが凶行に及ぶクライマックスに至り、劇場内は黒い共犯意識に包まれていたはず。 ここまでは主に旧作が続きましたが、今度は完全新作のプレミア上映。10月8日より渋谷アップリンクで封切られている『無垢の祈り』は平山夢明の短編を原作に、『心中エレジー』『幼獣マメシバ』の亀井亨監督が見事に映像化した問題作。家では義父からの性的虐待と宗教狂いの母からの暴力に耐え、学校でも苛められる孤独な小学生の少女が渇望したのは、街を騒がせる連続猟奇殺人鬼だった… というあらすじを書くだけで憂鬱になってくる絶望の物語。公開が始まったばかりのため詳細は控えますが、印象深いのは主演・福田美姫(撮影時9歳)の目。普通に育った子供なら目にする必要のないものを散々、実体験として見せ付けられてきた眼球に宿る怒りと孤独。あれを演技で出しているんだから今後が末恐ろしい。ロケーションも素晴らしく、川崎の京浜工業地帯を自転車で疾走する少女の姿には普遍な青春の躍動を感じます。少女への性暴力を直接には描けず、かといって単にセリフで処理するような逃げもしない本作はいかにして映画として視覚的にそれを描写するかに腐心した挑戦の映画でもあります。最初、僕はこの映画の撮影自体が主演少女への虐待なんじゃないか、トラウマが植えつけられたらどうするんだと心配になったのですが、上映後の監督×原作者トークショーで亀井監督は主演少女に性的なイメージを決してさせないよう、台本も暗号化して渡し(どんな台本?)、撮影時も常に細心の注意を払っていたという話を聞いて、胸をなでおろしました。 ジャパンプレミア二本目は『橙火』。本業は医者でかつ格闘家でもあり、映画も撮るという男の夢をすべて叶えた清川隆が長編デビュー作『ハッピーアイランド』に続いて放つ第二作。前作は福島の立ち入り禁止区域内にキチガイが住んでおり、そこに足を踏み入れた撮影スタッフが監禁拷問されるという大問題作。いまだに一般公開の目処が立たない残酷ホラーから一転、本作はなんとハウスホラー! と言っても近年の『インシディアス』や『パラノーマル・アクティビティ』とは異なる、60年代あたりの『回転』や『たたり』の系譜に連なるゴシックな幽霊屋敷もの。“何か”がいるように思わせてやっぱり、いない。出るか出るか、でもやっぱりいない。結局、すべては妄想だったのでは? と安堵しかけたところでギョっとする。ビジュアルショックに頼れない、ロケーションと演出にすべてが懸かったハードルの高いジャンルに挑戦し、清川監督は見事ものにしました。前作では録音にかなり難があり、部分によっては登場人物が何を喋っているのかまったく聞き取れない致命的な課題がありましたが、今回はセリフや効果音も含め、録音・整音技術が飛躍的に向上。技術・演出両面でのグレードアップには驚くばかり。物語は恋人を亡くした女性が彼の生家の古びた屋敷を訪ねたことから始まる恐怖を描いており、他のハウスホラーと同様、本作でも舞台となる家そのものが主役と言えます。ロケ場所を探すのに最も苦労したと監督が上映後のトークショーで語っていたとおり、戦前に建てられた日本家屋の軋み具合や色合いは、よくぞここを見つけたと手を叩きたくなります。パンフレットによると、この映画にはどうやら本物の霊が映りこんでいるらしいのですが、残念ながら僕は見つけることができず。 トークショーでは、『タワーリング・インフェルノ』『ルパン三世 カリオストロの城』『サスペリア』『ランボー』等、様々な名作映画のポスターデザインを担当し、『ハッピーアイランド』『橙火』も手掛けた伝説のデザイナー・檜垣紀六氏と清川監督との面白話が展開。日の目を見ない『ハッピーアイランド』を差し置いて、『橙火』はすでに海外配給が決定しているとのこと。それは檜垣氏のポスタービジュアルを見た海外の配給会社がそのビジュアルだけで決めたそうで、いかに氏の手腕が凄いのかを物語るエピソードです。他にも映画撮影時の裏話や東京芸術大学の入試面接で、映画を観た黒沢清監督からあまり良い感想を貰えなかった話(「まあ、好きな人は好きなんじゃない」と言われたらしい」)等、非常に充実したトーク内容でした。 トークショーの様子。壇上には檜垣氏の手による数々の名作ポスターが並ぶ。 『橙火』と『無垢の祈り』のポスター。 夜には、カナザワ映画祭オールタイム・ベスト第八位に選ばれた『残酷を超えた驚愕ドキュメント カランバ』(ジープにゲリラの両腕をくくりつけ、腕を引きちぎる処刑場面で有名)が上映され、続いて爆音トビー・フーパーオールナイトが開催! 『悪魔のいけにえ2』(一作目ではなく、デニス・ホッパー叔父貴が大活躍する続編のほう)、水爆実験の影響で超人となった青年が原発をぶっ壊そうとする今の日本ではタイムリーな『スポンティニアス・コンバッション〜人体自然発火〜』、マチルダ・メイの全編全裸と後半のロンドン大パニック描写が語り草の、嫌いな人は誰もいない『スペースバンパイア』、カナザワ映画祭くらいでしか再度スクリーンで拝めないであろう『マングラー』と最高のセレクション。僕は翌日も朝から鑑賞予定が詰まっているため、パスしてしまいましたが、朝の5時から上映開始の『マングラー』を観たあとで、その日の午前からまた映画鑑賞に臨む猛者もいたとか。 ◇幻のエロエロ映画と悪ガキ暴走族映画! 3日目の一発目『好色日本性豪夜話』は1971年製作のパートアニメ・ポルノ映画。観た者がほとんどおらず、情報もまともに残っていないため、史上最も謎に包まれたアニメ映画として語り継がれる幻の作品。今回、フィルムが発見され、45年ぶりに上映となったのですが…。 何と言いますか、簡単に説明してしまえば、ポルノ版「まんが日本昔話」。「一寸法師」「かぐや姫」「つるの恩返し」のオムニバス(一部、登場人物が横断し、物語同士がリンクする)にアニメ演出が少しだけ挿入される構成。このアニメがヤバくて、『サウスパーク』のような紙芝居テイストのカクカクした動きなんですが、カラスの口がパクパク開閉してるだけのモーションが無音で何秒も続いたりして、テレビでやったら確実に放送事故レベル。ただ、鬼に襲われた女性が裸にされて乳首を吸われるシーンなどは当時からすれば新しいアニメの在り方だったのかもしれません。僕は本作を観た時に、アメリカで初めて成人指定されたアニメ映画『フリッツ・ザ・キャット』の影響を受けているのかなと思ったんですが、『フリッツ・ザ・キャット』は72年アメリカ公開で本作のほうが早いんですね(ロバート・クラムの原作コミックは60年代に連載開始)。もしかしたら、逆にフリッツ製作陣のアニメーターに影響を与えたのかもしれません。 アニメパートは衝撃だったものの実写部分は本当に退屈で、始めは大きな笑いに包まれていた場内も段々静まり返っていくのが印象的でした。時代劇なのに、かぐや姫がギターを弾きながらアンニュイな歌謡曲を歌ったり、打ち出の小槌で大きくなった一寸法師がペニスだけは巨大化できずに嘆いたりと、明らかに狙った笑い所が苦痛で仕方なく、いったい自分は金沢まで来て何をしているんだろうと虚無感にも襲われもしましたが、まあここでしか観られない幻の作品だったということで良しとしましょう。 二本目は特別イベント『本宮映画劇場田村修司館主の語りと「ピンク映画いい場面コレクション」』。福島県本宮市にある本宮映画劇場は1914年に開館し、63年の閉館後も田村館主は設備のメンテナンスを行い、現在も劇場を守っています。カーボン式映写機も稼動可能な状態というから驚き。最近はメディアで取り上げられることもあり、NHKの番組「探検バクモン」で爆笑問題の二人が劇場を探検する回をご覧になった方も多いのではないでしょうか。今回のイベントは、ピンク映画の生き字引でもある田村館主のトークと秘蔵のピンク映画フィルムを編集した、いい場面集上映の二部構成。ちなみに先に上映された、『好色日本性豪夜話』のフィルムも本宮映画劇場の倉庫から発見されたもの。いい場面集の最後に流れる、ある映画のあるシーンがとにかく凄いとトークで散々煽られたので、期待値を最大限に高めて鑑賞に臨んだんですが、最後に流されたその映画『ピカピカハレンチ』(関孝二監督の国映映画。なんちゅうタイトルだ)は煽りどおりの衝撃。どのようなシーンだったのかまでは敢えて伏せます。あの時、金沢の地に集った者だけの心に留めたい。 ピンク映画の生き字引、田村館主(写真中央)。 秘蔵ピンク映画ポスターの一部。 ちなみに金沢にも成人映画館はあります。「駅前シネマ」は文字通り、金沢駅から徒歩10分もかからない好立地に建っており、周囲の商店街や住宅と自然な調和を保って共存。昔は成人映画館も普通に商店街の中にあったんですよね。ゲイや女装趣味の客も多く、いわゆるハッテン場として機能もしているそう。土曜日は朝までオール興行も打つ、正統派の成人映画館です。カナザワ映画祭2007と2008では、ここでオールナイトイベントが行われ、僕が参加した2008の覆面オールナイトはなんと渡辺文樹特集。上映数日前に渡辺監督が逮捕されるわ、覆面と言いながら監督が勝手に街宣ポスターを貼ったことで例のごとく団体からの抗議が劇場に繰り返されるわとまあ色々あったようですが、一観客の立場では純粋にイベントを楽しんでました。今回の旅でも時間の都合がつけば、入りたかったものです。皆さんも金沢を訪れた際は、駅前シネマにも足を運んでみてはいかがでしょうか。 駅前シネマ外観と手描きの番組表。いい味すぎます。 さて、午後の映画祭は特集「ワルガキ映画」。不良が世間に反抗する物語が続いていきます。カンヌでグランプリを獲得した、マルコム・マクダウェル主演『If もしも....』の上映中、漫画家・古泉智浩さんの映画ポッドキャスト「ファミレス映画館」の収録を行い、特別ゲストでカナザワ映画祭代表の小野寺氏に出演していただきました。小野寺氏も大絶賛の『シン・ゴジラ』話から始まり、映画祭を運営する上での苦労やこだわり、上映作品のセレクト方針(「観客にラクをさせず、いかに負荷をかけるか」には目からウロコ)、そして今後の映画祭の動向についても伺っています。 「ファミレス映画館」特別編54 カナザワ映画祭2016レポート」 ※映画祭開催中に計4回収録しました。 収録後、すぐに劇場へ戻って鑑賞したのが、暴走族の特攻隊長が右翼集団と暴走族連合にたった一人で戦争を仕掛ける『狂い咲きサンダーロード』。昨年、発見された16mmネガフィルムから逸失部分を補完したデジタル完全版の製作が進んでいる本作を、今後上映機会がないかもしれないフィルム上映(しかも爆音)で観られる貴重な機会とあって、場内の熱気はいやがうえにも高まります。観客の中に、スーパー右翼の隊員役で出演もしている飯島洋一の姿も見かけました(『水のないプール』にもマスター役で出演)。映画は当然のことながら傑作で、山田辰夫演じる特攻隊長・仁が叫ぶ「やってやろーじゃねえよ!」「街中の奴ら、ぶっ殺してやる!」等の名セリフは何度聞いても震えます。作品を彩る、泉谷しげるソングのツッパリ具合もトゲトゲしく、エンディング曲「翼なき野郎ども」は大名曲。当時は本当にカッコよかったですね、しげる。 『狂い咲きサンダーロード』の山田辰夫演じる仁さんと『水のないプール』の裕也さん。真にカッコいいオトコたち。僕はこういう風には生きられないんだろうなあ…。 続くワルガキ映画は、大友克洋の超大作SFアニメ『AKIRA』。映画祭上映会場の都ホテル地下・セミナーホールが以前、映画館・ロキシー劇場だった時に上映されたこの映画を今回、26年ぶりに再上映。『AKIRA』は初公開時から幾度も大友の手が加えられ、ビデオやLD、DVD化等の際、特に音響関係に加工が施されていますが、小野寺氏はオリジナルの野蛮な荒々しいサウンドがベストだと「ファミレス映画館」で語ってくれました。今回は劇場公開当時のフィルム素材を爆音で観客に浴びせかけます。映画祭運営スタッフの中にはアキラTシャツを身に着けた人もおり、上映後には拍手喝采、『AKIRA』は男の子(女の子もだけど)にとって永遠の青春アニメなんですね。 ワルガキ映画の締めは、80年代の隠れた名作『ビリー・ジーンの伝説』。ヘレン・スレイター(元祖『スーパーガール』!)とクリスチャン・スレイターが共演したジュブナイル反抗アクションです。悪どい大人に騙され、濡れ衣を着せられた姉弟が全米を逃避する中で、国中の応援を受けるヒーローと化していく物語。劇中、ヘレン・スレイター演じるビリー・ジーンはテレビでオットー・プレミンジャーの『聖女ジャンヌ・ダーク』(これも子供が強大な大人帝国に立ち向かう作品)を観て感化され、髪を短く切り落とします。その姿はリーゼントだった時の立河宣子にちょっと似てて、個人的にはイケてない感は否めませんでしたが…。 民衆を味方につけ、警察さえも出し抜くたくましい女に成長していくヘレンはアメリカ独立精神を体現しているように見えます。暴力の連鎖を否定し、それが人々へ伝道していく『地獄の黙示録』を思わせる崇高なラストに至って、そうかこれはアメリカの神話なのかと気づき、何故これがアメリカ人にとって重要な作品なのか理解しました。ワルガキ映画特集の最後にこれを持ってきたことにも深い意図を感じます。 3日目の上映はこれで終わり。ここで僕は仕事のため、夜行バスで一旦、東京へ。(想定より早く)また金沢の地へ戻って来ることになります。 ◇4日目は昼下がりの前衛的エロ映画でまったり。そして、映画祭オールタイムベストの浣腸映画が奇跡の復活で場内狂乱! 3連休後の平日は中休みとして、気だるいエロスの空気に浸れる映画を特集。『闇の乙女』『ヴァンピロス・レスボス』『エデン、その後』『紅い唇』『アイズ・ワイド・シャット』といかがわしさ満点の映画づくし。『ヴァンピロス・レスボス』『紅い唇』はどちらも70年代のヨーロッパで作られた女吸血鬼もの。現代のヴァンパイアジャンルは洋の東西を問わず、腐女子向けのイケメン吸血鬼ものが定番化していますが、かつては女吸血鬼がメインを張り、その妖艶な肢体で観客を魅了した時代もあったのです。 そして、4日目の最終上映は伝説の映画『ウォーターパワー アブノーマルスペシャル』の登場。僕はこの日、金沢不在でしたが、カナザワ映画祭2012にて鑑賞しているので、その時の鑑賞記録を記します。内容は背徳の街・ニューヨークを舞台に、穢れた女たちを”浣腸”で浄化していく無職男の活躍を描いたダークヒーローもの。76年に製作されたこのアメリカ映画は日本で公開もされていますが、観た人は少なく(文学者の蓮見重彦は当時のベストテンに入れたらしい)、VHSもプレミア化しているかなりのレア作です。僕もほとんど情報を持っていなかったので、カナザワ映画祭2012の上映時には半信半疑で観始めたのですが、ホース片手に飛び回り、警察の捜査網をかい潜りながら、女の尻を狙う浣腸マンの闘いに本気で感動し、場内も爆笑と興奮の渦に包まれました。字幕のセンスが抜群で「浣腸には大いなる責任が伴う」「浣腸こそ我が人生」等、本作を神格化させてくれます。終幕後は割れんばかりの拍手喝采! 浣腸映画に! 2012年の上映時に見逃した人が多かったようで、当時の体験者から口々に発せられる絶賛の声に悔しい思いをしたからか、投票で募った映画祭オールタイムベストでは堂々の1位! 浣腸映画が! 満を持した再上映は前回よりも数分間長いエネマ版。しかも追加部分は浣腸シーン等の過激描写の数々とのこと。今回も上映中は歓声が上がりっ放しで、スクリーンにTHE ENDと映し出された際、満席の場内から鳴り止まない拍手が続いたそうです。浣腸映画に観客が詰めかけて狂喜するなんてことはカナザワ映画祭くらいでしか起こりえないでしょう。 ◇5日目はニンジャ!サムライ!大日本帝国海軍!これぞクール・ジャパン! 特集はクール・ジャパン。ニンジャやサムライ等、ニッポンの誇りが外国映画で勇ましく描かれる映画の数々が蘇ります。巨匠サム・ペキンパーが現代アメリカを舞台に暗躍するニンジャ軍団を描いた『キラー・エリート』は当時、珍作として散々笑われたものの、近年再評価の気運が高まりつつあるカルト作。名画座で時折、開催されるペキンパー特集でも本作はまずラインナップ候補から外されますが(丁度、今年の「午前十時の映画祭」で『ゲッタウェイ』がセレクトされていたのも何かの因縁?)、あえて持ってくるあたりにカナザワ映画祭の意地を感じます。 ニンジャに続いてはサムライ。『最後のサムライ ザ・チャレンジ』はジョン・フランケンハイマーが三船敏郎と中村敦夫まで動員し、京都で本格ゲリラロケを敢行した大作。邦題と同じタイトルの『ラスト・サムライ』があれだけ評価されて大ヒットしたのに、本作の扱いが低いのはいまだに納得いきません(そもそも日本劇場未公開)。82年の製作から34年が経ち、晴れて日本のスクリーンで上映されたのは喜ばしい限り。僕はこの日もまだ東京で仕事をしており、観られなかったのが悔しい。 お次のニッポンが誇る暴力装置は大日本帝国海軍。『ジョーズ』『未知との遭遇』で当時、破竹の勢いだったスティーブン・スピルバーグが手掛けた『1941』はカリフォルニアに日本軍の潜水艦が現れ大騒ぎとなる様を、徹頭徹尾バカバカしくも破壊の快感を満載して描いた戦争超大作です。『最後のサムライ ザ・チャレンジ』に続いて、三船敏郎はここでもクール・ジャパンの浸透に貢献。本作もスクリーンで観られる機会はそうそうありませんが、それをしかも爆音で鑑賞できるとは何とも贅沢。 『1941』の次に超大作『戰艦大和』をぶつけてくる抜群のセンス(両作は「戦争(映画)だ〜い好き!」特集作品でもあります。この並びを見れば、ネットの炎上騒ぎがいかにバカバカしいか分かります)が炸裂したあとは、締めの作品として、昼下がりの前衛的エロ映画でもありクール・ジャパン映画でもある、実録・阿部定事件『愛のコリーダ』を上映。やはり世界がニッポンに求めているのはエロなのか。 ◇田舎ホラーオールナイトにカナザワ映画祭の真髄を見た! トビー・フーパーオールナイトに続く、オールイベントは「田舎ホラー大全科第二集 〜これが田舎のオ・モ・テ・ナ・シ〜 オールナイト」。”田舎ホラー”とは大雑把に説明してしまうと「都会人が田舎に行ったら、常識の通じない田舎者にヒドイ目に遭わされる」作品を指します。一番分かりやすい例が、テキサスの田舎に住むキチガイ殺人一家が暴れまわる『悪魔のいけにえ』ですね。カナザワ映画祭では以前、田舎ホラー作品を集めた「田舎ホラー大全科」を企画し、好評を博しました。今回の第二集で披露される作品は以下のとおり。 『ソニーボーイ』 『昼下がりの女 挑発!!』 『クロンボ遊撃隊 vs KKK団』 『暴れん坊村長』 『悪魔のいけにえ2』 どうです、タイトルを見ただけで体内の映画血中濃度が高まりませんか? 『ソニーボーイ』『暴れん坊村長』はぞれぞれ『ワイルドボーイ』『独裁者』のタイトルで日本国内VHS化されていますが、ソフト自体が入手困難なレア作。『クロンボ遊撃隊 vs KKK団』に至っては完全日本未輸入作。それらが大スクリーンで堪能できるチャンスなど、この先二度と訪れないかもしれません。当初の予定で僕はこのイベント日から二日後の7日目に再度金沢入りの予定でしたが、田舎ホラーオールナイトをどうしても観たかったので、東京でのマスト仕事を必死で完遂させたあと、すぐ新幹線に飛び乗って金沢へ。宿も取っておらず、事前予約済の長距離バスキャンセル料もかかり、最近の厳しいお財布事情には正直キツイんですが、観たい映画の前にはそんなことを構っていられません。 オールナイトが始まる5分前に金沢に着き、数分遅れで鑑賞開始。 一本目の『ソニーボーイ』はこんなお話です。 「赤ん坊の頃、キチガイ一家に誘拐されたソニーは舌を切り取られて檻の中に監禁される獣のような育てられ方をした。美しい青年に成長したソニーが外の世界に触れ始めたのをきっかけに、キチガイ一家、警察、田舎者の自警団らを巻き込んだ血みどろの抗争が勃発することとなる…」 デビッド・ドゥーリフ(本映画祭では『スポンティニアス・コンバッション〜人体自然発火〜』『エクソシスト3』にも出演)が演じる悲劇の主人公にまず泣けます。人間の尊厳を奪われ、奴隷同然の生き方しか許されなかった彼が外の世界でまともな人と出会い、優しき少女とも心のつながりを持てそうになった直後、狂気の世界に連れ戻される絶望。常軌を逸した生活環境からいかに社会復帰できるかを描く、ネグレクトものや難病ものの要素もあります。キチガイ一家は盗んだ家電の違法リサイクルビジネスを生業としており、警察はワイロを受け取ることで彼らを見逃しています。腐ってますね。一家の凶行が町の人々にも及び始め、町民たちは自警団を組織し、一家を皆殺しにしようと団結。キチガイ一家だけでなく、警察や住民たちも皆、自己保身しか考えない愚か者です。終盤は荒野に佇む一家のアジトに武装した自警団がマッドマックスさながらにバイクや車で大挙押し寄せ、一家が大砲やライフルで迎え撃つ大バイオレンスに発展。これには驚きました。デビッド・キャラダイン演じる常に女装したキチガイが両手に銃を持ち、ハリウッドヒーローよろしく窓を破って登場した時はまさかこんなエモーショナルな展開になるとは僕も他の観客も予想だにしていなかったため、“映画の飛躍”に拍手喝采です。この一本を観られただけで、新幹線代を費やしてスケジュール前倒しで来た甲斐があったというものです。 二本目は唯一の邦画『昼下りの女 挑発!!』。お話はあってないようなもので、人妻が旅行先の田舎で田吾作の狂人たちにひたすら追いかけまわされる、純然たる田舎ホラー。脚本の桂千穂は『(秘)海女レポート 淫絶』 (近藤幸彦監督)や『暴行切り裂きジャック』(長谷部安春監督)等、多数の名作ポルノ映画のシナリオを手掛け、『HOUSE ハウス』をはじめとしたいくつかの大林宣彦作品も担当しています。主演の八城夏子は80年に引退するまでの間、『暴行切り裂きジャック』『レイプ25時 暴姦』『皮ジャン反抗族』『堕靡泥の星 美少女狩り』等、現在も各地の名画座や衛星放送でしょっちゅう、お目にかかる名作群で憂いのある人妻や反抗的なワルの女学生を演じました。『昼下りの女 挑発!!』はストーリーを語っても仕方がなく、狂った田舎者の操るショベルカーに追跡される悪夢的なライド感に身を任せ、酔うように体感するのが正しい鑑賞方法。4DXやMX4Dで観れば、『ガールズ&パンツァー』を超える映画体験ができるのではないでしょうか。劇中、車から流れる歌が印象的で、一緒に観た方が後日、DVDで確認したところによれば、荒木一郎の歌らしいとのこと。都内の名画座・シネマヴェーラ渋谷では10月に荒木一郎特集が組まれており、ここにも無意識に生じる映画の連関を感じます。関係ないはずはありません。 三本目『クロンボ遊撃隊 vs KKK団』は実は本オールナイトイベントで最も期待した作品だったのですが…。 原題は「Brotherfood Of Death」。黒人差別が激しい田舎町を舞台に、ベトナムから帰還したブラザーたちが白人至上主義集団と壮絶な死闘を繰り広げると思いきや、妙に牧歌的なテンポで進み、しょうもないユーモアも挟まれ、受け止め方に困ってしまいます。ベトナムの戦地シーンがほとんどニュースフィルムで処理され、あとはその辺の山林で撮影したサバゲー感あふれる緩い戦争ごっこを見せられるのも…。 KKK団に潜入したブラザーが白装束に身を包み、白人どもを撃ち殺していくところは結構面白かったです。あとは字幕のセンスに助けられましたね。「クロンボ!クロンボ!」と通常のテレビ放送コードや劇場公開作品ではまず不可能な表現の連続。別に過激だからイイということではなく、キャラクターが発するセリフに込められた思いの問題です。差別吹き荒れる時代、田舎者の下品な言葉遣いを表現するためには時として「Niger」を「ニガー」でなく、「クロンボ」と訳さなければ意味が伝わらない場合もあります。カナザワ映画祭では元から字幕が焼き付けられたフィルム素材等を除いて、基本的に「かなざわ映画の会」の自前で字幕を作成しています。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』も劇場公開用の字幕に不満を持っていた主宰・小野寺氏による、新たな翻訳字幕で上映されました。フィルム作品の場合は、字幕投影システムを使って、フィルム映写と字幕データを同期させて表示していました。放送コードなど気にする必要はないため、「キチガイ」「ド田舎」等、強烈なワードが連発します。『暴れん坊村長』に「ド田舎」という字幕が出てきますが、「田舎」と「ド田舎」ではまったく意味が異なり、そのセリフを発した人物の表情を見れば「ド田舎」以外には的確な表現が思いつきません。とはいえ、現代で言葉遣いのこだわりを貫くのは難しい。だからこそ、カナザワ映画祭のようなインディーズ映画祭ではそれが可能となります。インディーズでの映画上映会やフェスティバルの意義をも感じさせてくれました。 四本目の『暴れん坊村長』あたりで体力に限界がきており、栄養ドリンク「激強打破」(「眠眠打破」→「強強打破」の更に上位の最強レベル)を注入して臨みます。この映画の主役はド田舎で強権を振るい、独裁者のように君臨する暴れん坊村長。村に迷い込んだ若者たちを村長が脅し、嬲り、血祭りに上げてくれる様は痛快。村長を演じるのは名優ヘンリー・シルヴァ。先日の本メルマガ連動イベント『シネ☆マみれ』で僕がご紹介したVHS『漂流教室』(楳図かずおの傑作漫画をアメリカで実写ドラマ化した作品)で国防総省に務める高官を演じていました。 暴れん坊といっても意外に村全体のことを考えているしっかりした為政者で、村民からは不満をぶつけられ、都会の若造どもにはバカにされながらも奮闘する彼の姿は胸に迫るものがありました。最後は大爆発で映画が締められ、場内では拍手喝采。 田舎ホラーオールナイトの最後を飾るのは、トビー・フーパーオールナイトでも上映された『悪魔のいけにえ2』爆音上映。僕はフーパーオール未参加のため、ここで爆音いけにえ2を初体験。本作でもカナザワ映画祭の字幕センスが花を添えます。あの狂人一家を言い表すのに「キチガイ」以外の言葉があるでしょうか? デニス・ホッパー叔父貴の二丁チェーンソーぶん回しの勇姿に眠気もパッチリ。そして朝の6時30分頃、計5本のオールイベント完走! 24時間近く寝ていない状態で逆に脳が覚醒してしまい、『悪魔のいけにえ2』ラストカットのヒロイン大絶叫を駅前で真似したくなる異様なテンションのままホテルスパで汗を流し、仮眠室にて爆睡。 ◇後半戦の6日目はこんな時代だからこそ、呪われた映画を! 特集「不安な時代、呪われた映画」では戦争や政情不安、世紀末の社会に漂う不安感を描出した映画たちが並んでいます。最も陰惨なマクベスと言われる、ロマン・ポランスキー版『マクベス』に始まり、『エクソシスト』の原作者ウィリアム・ピーター・ブラッティが監督を務めた『トゥインクル・トゥインクル・キラーケーン』『エクソシスト3』では、不条理なイメージが洪水のように脳内に流れ込む悪夢の映画体験を観客に与えます。続いてはカナザワ映画祭のトークイベントといえばこれ! ということで今年も開催された「映画の生体解剖」。稲生平太郎(横山茂雄)と高橋洋に加えて、ゲストに高橋ヨシキを招き、映画の魔に迫る濃厚トークが展開されたらしいのですが、僕は田舎ホラーオールナイトの消耗が激しく、残念ながらパスしました。 この日に僕が観たのは一本だけで、前からずっと観たかったドイツ映画『マブゼ博士の遺言』。マブゼ博士シリーズの中で最高傑作と評価されている本作はフリッツ・ラングがアメリカ亡命前の33年に撮影したもの。精神病院に幽閉され、果ては死してなおカオス思想を伝道し続けるマブゼ博士と彼の企てによって混沌と化していく社会はその後のドイツや世界が辿る運命を明示しているかのよう。黒沢清や高橋洋が多大な影響を受けたと公言するのも納得の内容で、80年以上も前に作られた本作は今なお映画人たちに呪いをかけ続けています。 フィクションでドイツの運命を示唆した作品に続いては、ドキュメンタリー『意志の勝利』。ナチス政権下のドイツで行われた全国党大会の模様を収めた記録映画です。監督は後に、ベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』を撮ることになるレニ・リーフェンシュタール。まだ悪魔の本性を表す前のアドルフ・ヒトラーの演説は結構いい事を喋っており、その立ち居ぶるまいも含めて非常に魅力にあふれています。ぼーっと観ていると洗脳されそうになる危険さ。主宰の小野寺氏もそれが狙いだと、漫画家の古泉智浩さんと僕のポッドキャストにゲスト出演していただいた際に語っており、この日のラインナップを朝から観続け、正常な判断能力を奪われた思考状態で本作を見せることで、映画の持つ悪魔的なパワーの虜にしようとしたとか。恐ろしい人だ。 6日目の上映が終わりましたが、スケジュール前倒しで金沢入りしたため宿を抑えていない! 空いているホテルは結構なお値段。経済状況も本当にキツイので、もうこうなったらと野宿を敢行しました。最初は繁華街の片町近くにある橋の下で寝ようとしましたが、連日続く雨をしのげずに断念。深夜の金沢を彷徨った挙句、駅前のバス・ロータリー待機所が屋根もあり、ベストプレイスと判断し、朝まで寝転がってました。宿代をケチってその分浮いたお金を映画のチケット代に充てる行為に我ながら苦笑してしまいますが、すべては映画のため! ◇映画は暴れてナンボ! やられたらやりかえせ! 狂った社会に立ち向かうにはこっちも狂うしかない! とかつて誰かが言ってた気がしますが、そんなマインドに満ちた暴動映画特集の7日目。ドキュメンタリー『山谷 やられたらやりかえせ』は映画の冒頭で、瀕死の監督が病院に担ぎ込まれる衝撃作。低所得の労働者が集まる山谷地区で彼らを支配しようとする暴力団と労働者たちの闘争に密着したドキュメントです。佐藤満夫監督は撮影中に暴力団員に殺害され、その意思を継いだ山岡強一監督は執念と信念を持って完成まで漕ぎ着けましたが、完成後に佐藤監督と同様、やはり暴力団の組員に命を奪われました。フィルムには労働者たちの怒りと監督二人の情念が確実に刻まれています。基本的に不定期な上映会などでしか観られない本作は、カナザワ映画祭2008「フィルマゲドン」でも上映され、今回、映画祭ファイナルを飾る作品の一本として再上映となりました。 この内容がブラッド・ピット主演、20世紀FOX配給のビッグバジェット映画として作られ、全世界で公開されたのが今でも信じられない『ファイト・クラブ』。爆音具合が凄まじく、開巻すぐに流れるTHE DUST BROTHERSの攻撃的な激しいサウンドが殺しにかかるレベルのボリューム。これは好きな映画で一時期はDVDで何度もリピート鑑賞してたんですが、数年ぶりに観直すと泣けて仕方ありませんでした。現実と理想の折り合いがつけられず暴力衝動が抑えられない病んだ男が、自堕落で哀れな病んだ女と出会いって救いを得る本作は僕にとって究極の恋愛映画。ラスト、自己を獲得した主人公の眼前で社会が崩壊し、そこにPixiesの「Where is my mind?」が流れ出して突入するエンドロールはあらゆる鬱積を洗い流してくれる浄化作用があり、観終わった後はもうボロ泣き。この時点で満足しきって、東京に帰ろうかと思ったほどですが、まだまだ映画祭は続きますし、僕には見届ける義務もあります。 続いても爆音上映。過去のカナザワ映画祭でも上映作のある黒沢清監督の『カリスマ』は『ファイト・クラブ』の翌年となる2000年に作られた、これも暴動映画と言える作品です。世界から隔絶された場所で「カリスマ」と呼ばれる一本の木を巡り、争いを繰り広げる人間たち。「世界の法則を回復せよ」「生きる力と殺す力は同じ」「あるがままだ」その言葉の意味は何か? 不穏な空気に包まれた世界へ拡がっていく解放のメッセージ。僕の頭が悪いのか当時はさっぱり理解できませんでしたが、今観ると理屈ではなく感覚として、この映画の言わんとするところが体の中に気持ちよく溶け込んでいきます。ゼロ年代の『マブゼ博士の遺言』。時にとぼけて、時に不安を駆り立てるゲイリー芦屋サウンドも爆音で聴くとまた違った味わいがあり、極上の映画体験ができました。 お次は説明不要の皆大好き『ゼイリブ』。今回は暴動映画特集の一本にてラインナップされました。同じ映画でも、組まれたプログラムを通して観ることで異なる感じ方ができ、それもまた映画祭の持つ魅力です。続く作品は「不安な時代、呪われた映画」テーマの最後の作品『ソドムの市』。ナチス占領下のイタリアで、変態ファシストたちの餌食にされた少年少女たちが体験する地獄を描く大問題作。スカトロ、ソドミー、虐殺、終わることのない狂気の宴。僕は以前、DVDで観た際に何度も途中で観るのを止めようかと思いながら最後まで観た記憶があり、今回の上映も辛かろうとパスしました。鑑賞した知り合いの話によると、場内はどんよりとした空気に包まれ、終わったあとも皆重たい足取りで出口へ向かったそうです。この先も永遠に観る者に後味の悪さを残す、厭な映画として君臨し続けるのでしょう。 重苦しい厭な映画のあとにこれをやるのかと、その選定に仰け反ってしまうのが7日目のトリを務める『ロッキー・ホラー・ショー』(まあ両方続けて観た人はそんなにいないと思いますが)。今も世界中のどこかの映画館で常に上映されていると言われる、ロック・ミュージカル映画の金字塔。カナザワ映画祭2013での上映時と同じく、今回も『ロッキー・ホラー・ショー』ファンクラブのLIP'S協力による観客参加型上映。これを観るためだけに全国から駆けつけたのか、他作品の上映時には一切見かけなかった外国人ファン勢を会場入り口付近で多数目にしました。これが本作の牽引力か。僕は2013年のカナザワで観客参加型上映を初体験しましたが、正直どうにもノリ切れず、後半は周囲に合わせて義務感で体を動かしていた記憶があります(一緒に観た古泉智浩さんは途中から踊ることすら止めていたとあとで聞き、ショックを受けました)。ということでパスしたんですが、観た人の話では今回も満員御礼の大盛り上がりだったようで何より。 ◇戦争映画の爆音乱れ撃ちに圧倒されよ! 本邦初公開のロシア製全編POV映画! 映画祭中、二度目の週末。残すところあと二日です。しょっぱなから観客に攻め込んでくるのは『プライベート・ライアン』爆音上映。戦争映画の流れを決定的に変えてしまった、今でもこれを超える戦場体験映画はないと断言できる傑作。公開当時、シネコンのドルビーサラウンドで観た際も、銃弾が空気を切り裂く音やタイガー戦車から放たれる砲撃に耳を押さえたくなる臨場感を受けたものですが、爆音はヤバかった。銃撃、着弾、爆発、キャタピラ音、すべての音響が耳と顔と腹にビリビリと響いて、助けてくれ! ここから連れ出してくれ! と叫びたくなる程。上映会場は地下二階にあるんですが、上映中、一階のフロアにも爆音の振動が伝わっていたと一階にいた人に話を聞かされ、あらためて爆音の凄さに感嘆しました。 少年の目を通して、ナチスに蹂躙されるロシアの悲劇を描いた『炎628』は、この世の地獄としか呼べない映像黙示録が延々続く狂気の傑作。観る者に一切の安堵を与えず、常に精神をキリキリ締め上げる効果音が爆音で迫ってきます。地獄巡りの末に生気を失い、老人の顔つきと化した少年のアップはいつまでも観客の心に焼き付いて離れないでしょう。 ナチス・ドイツの暴虐を散々見せつけられたあとに来るのは、逆にドイツ軍側からの視点で独ソ戦を描いた『戦争のはらわた』。雰囲気重視のため、非常に珍しいドイツ語吹き替え版での上映。映画の中に戦場そのものを持ち込んだと言われる程の暴力描写は『プライベート・ライアン』登場まで、戦争バイオレンス映画の最高峰の地位に君臨していました。人と人の愚かな争いすべてを笑い飛ばすジェームズ・コバーンの高笑いを聴くたび、自然と涙が流れてきます。米・露・独、それぞれの視点から紡がれる第二次世界大戦の物語。三本連続で観終わった観客の心にはいったい何が残ったのでしょうか。 さて、今度は完全新作のジャパン・プレミアです。ロシア製のSFバイオレンス『ハードコア』(原題は「HARDCORE HENRY」。当初は邦題も「ハードコア・ヘンリー」でしたが、諸事情あって“ヘンリー”が取れました)。本作はなんと全編が一人称の主観視点で進む、POV映画。フェイクドキュメンタリーの巨匠・白石晃士監督も著書『フェイクドキュメンタリーの教科書』の中で、未見ながらもライバル視していた作品として、以前から話題になっていました。「瀕死の重傷を負い、サイボーグ手術を受けた男が囚われた妻を救うために、改造人間や超能力者と壮絶なバトルを繰り広げる」というストーリーを聞くと不安しか感じませんが、本作は要するにFPS(ファースト・パーソン・シューティング)と呼ばれるシューティングゲームをそのまんま実写映画化したものです。何がなにやら分からないまま闘いに身を投じることになった主人公が自身に起きた謎と妻の行方を追いながら、矢継ぎ早に襲い来る敵の集団を蹴散らしていきます。ゲーム好きにはたまらない演出が満載で、例えばFPSジャンルの先駆的ゲーム『DOOM』へのオマージュ。覚醒剤を入手すると狂戦士状態となり、素手でモンスターを殴り殺せるようになるシステムを『ハードコア』でも再現しています。ゲーム好きの僕は始終ニヤニヤしながら観てました。主人公の相棒となるシャルト・コプリーが『第9地区』『チャッピー』の役柄を引きずるような設定のキャラクターで登場するのも嬉しい。ビジュアルショックで押し切るタイプの映画と思いきや、テクノロジーを通じた意識の伝道、機械と魂の在り処等、意外にSFしてるのにビックリ。単に『攻殻機動隊』が好きなだけとも言えるんですが。来年、日本で一般公開予定のため、あまり最後まで書くのは控えたいと思いますが、本作の真のテーマは”怒り”でしょう。終盤、虐げられし者の怒りが大爆発するシーンには本気で感動しました。これは是非とも多くの方にご覧いただきたい必見作。一つ残念だったのは監督のイリヤ・ナイシュラーが急遽都合で来日できなくなったこと。どうやってこの超絶バイオレンス映画が誕生したか、じっくり監督の口から聞いてみたかったです。 『ハードコア』ポスター。秋葉原にある洋ゲー専門店のワゴンセールで見かけそうなデザインが最高です。 夜にはいよいよ、本映画祭のメインイベントでもある、「クリスピン・グローヴァーのビッグ・スライドショウ」が開幕です! ◇金沢に降り立つ、異形の俳優クリスピン・グローヴァー。誰も見たことのない映画体験。 クリスピン・グローヴァーは端正な顔立ちに神経質な佇まいを備えた、いわゆる性格俳優という言葉がこの上なくピッタリの役者で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のジョージ・マクフライ役が世間的には最も知られているでしょう。『ワイルド・アット・ハート』や『チャーリーズ・エンジェル』シリーズ等、多くのハリウッド作品に出演し、俳優以外にも作家、ミュージシャン、そして映画監督と多岐に渡る活動を続けています。彼が行っているライフワーク「ビッグ・スライドショウ」は物語性のあるスライドショウにグローヴァー本人の喋りが重なる朗読劇のようなショウで、監督した映画作品はこのスライドショウとセットで行われます。したがって、ソフト化などされないのは当然ながら、監督本人の立会いでないと上映されないため、なかなか観る機会はありません。カナザワ映画祭2008「フィルマゲドン」での上映がアジア圏においての初上映だったのは快挙というほかないでしょう。カナザワ映画祭オールタイムベストで『ウォーターパワー』と同率1位だった本イベントを再度開催するためにグローヴァーを金沢の地に召喚、幻のイベントが奇跡の再演となりました。彼の監督する映画は、独自の視点で眺められた世界観で構築され、観た人々に不穏な思いを抱かせつつも忘れられない映画体験を提供してくれます。 グローヴァーの”IT”トリロジー3部作は現在のところ、2作目まで完成しており、本日は2作目にあたる『It is Fine! EVERYTHING IS FINE.』が上映されました。 『It is Fine! EVERYTHING IS FINE.』はロングヘアーの女に性的興奮を覚える脳性マヒ患者が次々に女性たちを毒牙にかけ、その手を血に染めていく犯罪劇。脚本・主演のスティーブン・C・スチュワート本人が脳性マヒ患者で、ある意味で彼の半自伝的作品とも言える映画。彼がこの作品に賭ける思いは相当なものだったようで、医者は体への負担を危惧し、「これ以上、撮影を続けたら命に関わる」と警告。それでも、スティーブンは執念で演じきりましたが、やはり過酷な撮影だったのか、撮了から一ヶ月ほど後に亡くなっています。映画はスティーブンが込めた激しい情念を、グローヴァーが暖かい眼差しで見つめた魂の傑作。我々が“障害”、“障害者”、”タブー”と括ることで自分の都合のいいように物事や人間を見定め、あるいは見ないように無関心を装う風潮に対し、スティーブンはセックスと殺人に彩られた犯罪映画を作ることで怒りをぶつけてきます。長い間、施設に閉じ込められていたスティーブンの怒り。それを表現する題材として彼は犯罪劇を選びました。施設ではテレビで観ることの許されるコンテンツは限られており、その中で彼がよく観ていた連続犯罪スリラーものから着想を得たとのことです。インスピレーションを得る物語すら限定される生活。世間から半ば隔離されていた男が、裸体を曝け出し、マヒのある肉体をこれでもかと振り動かし、“障害者によるセックスと殺人”という世間が判断する“タブー”を、タブーとは正反対のオーソドックスなテレビ犯罪劇として表現する。果たしてそれはタブーに触れた問題作なのか? むしろ何らの不思議もない、お茶の間で普通に見られる物語ではないのか? 2008年のカナザワ映画祭で本作を初鑑賞したとき、震えが全身を駆け巡ったのを今でもよく覚えています。僕がカナザワ映画祭を追いかけ続けるきっかけになった真の名作です。 『It is Fine! EVERYTHING IS FINE.』ポスター。車椅子の男がスティーブン・C・スチュワート。 上映後はグローヴァーと観客のQ&Aが行われましたが、これが長い! 2時間ほどの間、立ったままで喋り続けるグローヴァー。観客の質問には真摯に答え、聞かれないことでも自身の考えや思いを語り続けました。イベント自体が予定より遅い開始だったとはいえ(本来は21時30分〜)、Q&Aとその後のサイン会も含めて、完全終了したのは夜明け前! グローヴァーのバイタリティとサービス精神には恐れ入ります。 ◇遂に迎えた最終日。朝からナパーム! 期待の新人監督はこいつだ! 9日間に渡って続いた映画祭もこの日で終わり。といっても、湿っぽい雰囲気など微塵もなく、最終日もトチ狂った映画が咲き乱れます。 午前中は『地獄の黙示録』劇場公開版。ヘリのローター音と爆撃、そこに流れるドアーズ「ジ・エンド」とトランス状態のマーティン・シーン。このオープニングの時点で観る者の心はスクリーンの向こう側へ連れて行かれます。「サティスファクション」、「スージーQ」、「ワルキューレの騎行」、混沌としたベトナム戦争の狂気を彩るミュージックの数々は身体を沸騰させ、これぞ爆音で観るべき音楽映画の超大作。 続いては「期待の新人監督2016」。一般公募から厳選された自主作品を上映し、観客や審査員による選考により、今後の活躍が期待できる監督に光をあてます。過去の同イベントでは『孤高の遠吠え』の小林勇貴監督も選ばれたことがあります。今回は70本ほどの応募作品の中から3本が上映されました。 『狂える世界のためのレクイエム』はテロリスト志望の男が世界の破壊を渇望する女と出会い、「一人一殺」のテロを決行すべく訓練に励む物語。映画を撮らない映画監督という謎の中年男が登場したあたりから話は映画についての映画へと変容していきます。監督の太田慶は映画美学校出身で、長編シナリオ課題の優秀作品に選ばれた彼の脚本を自身によって映画化したのが本作。高橋洋が絶賛したという脚本には、破滅への欲求、狂った女、肉体特訓、映画への妄想じみた執念と、高橋の賞賛もうなずける要素がテンコ盛りです。 (左から)プロデューサー、太田慶監督、主演の阿部隼也、映画を撮らない映画監督役の小宮孝泰 『さいなら、BAD SAMURAI』も映画美学校出身の監督によるもの。初監督作のポルノ時代劇『BAD SAMURAI』の製作で借金を抱え、映画は総スカン、上映会は閑古鳥が鳴く始末という悲惨な結果になった大野大輔が自身の置かれたロクでもない状況にカメラを向けた、自伝映画。劇中劇として映し出される、『BAD SAMURAI』が凄まじい。主演を務めるのは監督である大野大輔本人。その頭は見事な狂人カット(駅前の1000円床屋で適当に短くカットした髪をそのまま放射状に伸ばし放題にしたような、ワイドショーでよく見る異常犯罪の容疑者に多い髪形)。この狂人カットがあの手この手で女を犯しまくる。特にエロくもないんですが、出てくる女優はなかなかの美人揃い。あと、人づてに聞いた話では『デビルズ・リジェクト』を意識したらしいとのことですが、確かに頭部破裂シーンもあり、やりたいことは何となく見えてきます。それでもこの内容はキツイ。ビデオ撮り画質も狙ったものなのかもしれませんが、まったく効果が出ていません。結局、散々な結果に終わった初監督作のあと、両親に勘当されたり、出演女優に「ポルノ映画だったなんて聞いていない」と激怒されたり、映画同人誌のライターにケンカを売ったりするウダツの上がらない日々が続いていきます。映画の出来がどうというより、監督本人のジレンマが映画全体に漲っており、夢も希望もオシャレもクールもない、映画を撮ることのどうしようもなさがヒシヒシと伝わってくる怪作。 最後に上映された、岩切一空監督の『花に嵐』。これにはちょっとビックリ。PFFアワード2016の準グランプリにも輝いた話題作で、10月には新宿シネマカリテで一夜限りのイベント上映も行われています。内容は所謂フェイクドキュメンタリースタイルのPOVフィクション(厳密にはフェイクドキュメントではない)。大学の映画サークルに入った”僕”が様々な美女たちに翻弄されながらカメラを回し続ける日々を送り、ある日出会った先輩の”花”によって、現実と虚構と映画の境界線を横断する旅へ導かれていくという物語。心霊フェイクドキュメント、恋愛セルフドキュメンタリー、童貞悶々恋愛悲劇、学園ミステリー、果てはライトノベル風の時間SFと、ゼロ年代に特徴的だったあらゆる要素をぶち込んでまとめあげた76分。どこを切っても不快感のない、映画の心地よさにあふれていて、『さいなら、BAD SAMURAI』とは好対照。「こりゃ、売れるわ〜」と意味なく嫉妬してしまいそうになる出来でした。 3作品の上映後、観客投票を行い、審査員から各賞が発表されます。 審査員の黒沢清、柳下毅一郎、ダンカン 俳優賞に選ばれたのは『花に嵐』の花役・里々花。 以下、ダンカンのコメント。 “我々の世界で言うとパっと写した時に、「画が持つな」っていうことを言うんですよね。その人が何もセリフをしゃべらなくても、単純に歩いてるとね、覗きこんでるだけでも、「この人、画が持つね」っていう。本人が演技しなくても、すごく観てるほうがドンドンドンドン魅力的なんじゃないか、すごいオーラがあるんじゃないかっていうふうに感じてしまう女優さんでした” 出演俳優賞を授与される『花に嵐』の里々花。 続いて発表されたのは観客賞。これはもうブッチぎりで最も受けた『花に嵐』です。僕もイベント開始前は『さいなら、BAD SAMURAI』に投票する気だったんですが、『花に嵐』のエンターテイメント度に圧倒され、こちらに評を投じました。 以下は各作品講評での柳下毅一郎のコメントですが、非常に興味深く聞き入りました。 “『花に嵐』の岩切監督のご自身の紹介文で、「映画製作に目覚めた瞬間、映画に祝福されている」と。一方で大野監督は「映画に呪われている」。呪いと祝福という。これはとても同じことであって、要は映画の方からこっちに来ちゃったということなんですけども。呪いと祝福で考えると、やっぱり呪いの方が強い。祝福は冷めることがありますけど、呪いは一度受けたら一生ですから。逃れられないこということで、それもあって『さいなら、BAD SAMURAI』の方が強いのかなと、僕の印象として” 観客賞を受賞した『花に嵐』の岩切一空監督。右の写真は左から岩切監督、主演の里々花、スタッフ兼、劇中劇カメラマンの安田 そして、栄えある期待の新人監督賞に輝いたのは意外や『さいなら、BAD SAMURAI』! 以下、発表者の黒沢清のコメント。このコメントが今回の上映作品すべてを総括しています。 “三本ともまず、映画を撮ることとフィクションの間で葛藤しているということをテーマにした作品で。フィクションの中に必ず、女性が出てくるという感じでした。『狂える世界のためのレクイエム』は最初フィクションから始まるんですけど、途中からほぼ急激に、映画そのものになっていって本当、最後は気持ちの良いくらいに映画を撮ることで終わっていくという。 『さいなら、BAD SAMURAI』は最初から映画を撮ることとフィクション、その中に出てくる様々な女性の間でどう折り合いをつけていいか、途方に暮れている主人公、作者そのものが一貫して描かれていて。 『花に嵐』はまず映画を撮ることから始まるんですけども、実にスムーズに、美女たちにいざなわれるようにフィクションの、気持ちの良いフィクションの世界に観客を連れて行くバランスがとても良かったように思えます。 グランプリは、映画を撮ることとフィクションの折り合いを最後までうまくつけることができないという姿勢に僕は一番切なさを感じました、『さいなら、BAD SAMURAI』です。” 期待の新人監督賞に輝いた、『さいなら、BAD SAMURAI』監督・脚本・主演の大野大輔 最後は関係者全員が壇上に上がり、記念撮影。 どの作品も見応えのある内容で、彼らの次回作も追っていきたいと思います。 ◇カナザワ映画祭フィナーレを飾るクロージング作品は、あの映画だった! 「期待の新人監督2016」が終わり、残りあと1作品となりました。最後を飾るのはクリスピン・グローヴァーです。「ビッグ・スライドショウ」と”IT”トリロジーの第1作『What is it?』が上映されました。僕は2008年の上映時に見逃していたので、今回が初見。「ダウン症の人々と意思を持つ謎のカタツムリ、世界を支配する神が織り成す冒険ファンタジー」と説明できないことはないんですが、捉えどころが難しい作品で、理屈より感覚に訴えかけてくるものがあります。『It is Fine! EVERYTHING IS FINE.』の主演スティーブン・C・スチュワートが出ており、局部丸出しの熱演はインディーズ映画でないと成立しえないでしょう。感動や興奮というよりは、「何かヘンなものを見たぞ」「あれは結局、何だったんだ?」と妙なしこりがいつまでも残る後味。悪く言えば映画祭クロージングとしての締まりは良くないんですが、単純にスッキリさせてくれない、しかし心には深く刻まれるこの感覚こそグローヴァーが意図したものであり、さらにはカナザワ映画祭がこれまで追求したきたものでもあると言えます。 上映後は恒例のQ&A。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』裏話(ロバート・ゼメキスが「俺も昔は『ユーズド・カー』みたいなヘンな映画を撮ったりしたけど儲からなかった。今はリッチになりたいんだよ!」と吠えたエピソードに爆笑)や映画フィルムの持つ力とデジタル保存への警鐘等、聞き応えのある話が続いたものの、やっぱり話が長い! 今日もトークだけで2時間くらいはやってたんじゃないかと思います。僕はこの日の夜発の長距離バスで帰京せねばならず、帰り時間を気にしながらトークを拝聴し続けることに。周囲にも同様のお客さんが多かったらしく、1人また1人と名残惜しそうに出て行くのが印象的でした。結局、僕も最後までは居られずに涙を飲んで会場をあとにし、東京への帰路につきました(僕が帰った20分後くらいに終わったそうなので、だいたいは聴けましたが)。最後まで観客を落ち着かせてくれない、そういった意味で安心・安定のカナザワ映画祭でした。 ◇僕にとってのカナザワ映画祭 古泉智浩さんのポッドキャストで、僕も古泉さんも基本的にお祭りや人が集まるイベントは好きじゃないのに、カナザワ映画祭にはお金と時間を費やして毎年通ってしまうという話をしました。「地域の皆で作り上げる映画祭」とか「おもてなし」とか、僕にはどうも肌に合わないんですが、カナザワ映画祭はそういう煩わしさがなく、スっと入ってくるんですね。イベント上映を除いて、各作品の上映前に一切のアナウンスがないのも心地良いんです(「それでは、ごゆっくりお楽しみください」とか勘弁してほしい)。それでいて無料野外上映の実施やゲスト監督の来日中止に伴う返金対応等、予算がない中にも関わらず、お客さんに寄り添う姿勢は、無駄にカネのかかった他の映画祭に見習ってほしい男気です。そして、何よりの魅力は何度も書いていることですが、カナザワ映画祭でしか観られない映画があること。それは作品そのものだけでなく、極限までボリュームを上げた爆音上映や放送禁止用語など完全シカトの自由な字幕(つまり限度なく原語の真意を伝えられる)等の、上映の仕方、見せ方も含めてのものです。映画は当然ながら素材を映写することで完成する芸術であり娯楽。ならば、上映に伴う映写設備や音響設定に注意を払うのは当たり前で、そこにどれだけキチガイのようにこだわれるかが、各映画祭の目指すべき方向だと僕は思います。そのこだわりに惹かれて、映画祭の地へ赴くのです。「映画を観る」ではなくて、「映画を観に行くこと」。映画祭最終日に上映された『地獄の黙示録』の日本劇場公開時の予告編にはこんなメッセージが出てきます。 「魂を揺さぶる2時間30分の旅」 そう、僕らは(少なくとも僕は)魂を揺さぶってほしいから、映画を観に行くという旅を続けているんです。“心の旅”をどれだけ感じさせてくれるか、それが映画館や映画祭に足を運ぶかどうかの決め手となり、カナザワ映画祭は最も魂を揺さぶってくれる映画祭でした。ありがとう!カナザワ映画祭! これで、さいなら。 記念すべき第一回のカナザワ映画祭2007「青いオト |
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