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更新日:2017年4月16日 過去記事はコチラ ■2017/4/16 映画イベント『シネ☆マみれ 鮮血の映画学・朝倉加葉子の世界」レポート! 映画評論家・文化批評家の切通理作さんが発行している映画メルマガ『映画の友よ』。このメルマガ連動イベントとして2015年より、映画イベント『シネ☆マみれ』が定期的に開催されています。 場所は阿佐ヶ谷にある、カフェバー「よるのひるね」。ここは通常のカフェ営業とは別に様々なトークイベントや上映イベントも行っているイベントスペースでもあります。 『シネ☆マみれ』では、切通さんの基調講演(これまでに高畑勲論や富野由悠季論等を展開)、メルマガ『映画の友よ』レギュラー執筆陣の山口あんなさん(東京国際映画祭運営スタッフ)の「世界を知るための映画」、そして僕もテーマを絞った映画トークや所有VHS作品の紹介等を行っています。他にも女優しじみさんの役者復帰イベントや白石晃士監督を招いたスペシャルトーク等の特別企画も実施。最近では映画だけでなく、アメコミ翻訳家・御代しおりさんをゲストに迎えた、アメコミ特集等も開催しています。 13回目となる今月は、僕の立案企画で、『クソすばらしいこの世界』『RADWIMPSのHESONOO Documentary Film』で知られる映画監督の朝倉加葉子さんをメインゲストにした、スプラッタホラーテーマの回を行いました。セカンドゲストには学生残酷映画祭受賞者の篠原三太朗監督。トークに加え、両監督の未ソフト化短編映画の上映も。 ところどころ省略した部分もありますが、ざっくりとした、イベントレポートを書かせていただきます。 ※いくつかの本当に面白いところはイベントに来場いただいた方だけのお楽しみとして、レポートから割愛させていただいております。 ◇阿佐ヶ谷に血の雨が降る!? 鮮血の映画学・朝倉加葉子の世界 今回のイベントタイトルは「切通理作のシネ☆マみれ 鮮血の映画学・朝倉加葉子の世界」。 こちらが販促用チラシ。朝倉監督の代表作『クソすばらしいこの世界』をイメージしたイラストです。 新宿のケイズシネマさんやシネマカリテさん、渋谷のユーロスペースさんやアップリンクさん等を回り、チラシを置かせていただきました。時は4月14日、金曜日の夜。ゲストの方々にもツイート宣伝をしていただいた結果、多くのお客さまがご来場。 僕が司会をやらせていただき、まずは朝倉監督に、映画監督になっていくまでの道のりをお伺い。 かつてローン会社のアコムが事業展開していたレンタルビデオ店でのバイト話はそれだけで短編映画のシナリオが1本出来てしまうくらいの面白さ。東京造形大学を卒業後、テレビ番組制作会社のADとして勤務していた頃は多くの2時間ドラマの現場で演出のスキルを吸収されたそうで、なるほど監督の作品がどれもテンポよく気持ちのいい緩急のバランスがついているのは、そういった経験があってのことなのかと納得。 そして、2004年に映画美学校のフィクション・コースに入学。2010年の映画上映イベント「桃まつり presents うそ」での監督作『きみをよんでるよ』の上映を経て、同年に『怪談新耳袋 百物語』の一遍『空き家』で商業監督デビュー。その後、話の中心は長編デビュー作にして、日米合作、オールアメリカロケの血まみれスラッシャー『クソすばらしいこの世界』へと移行します。 偶然に偶然が重なった製作経緯は驚きの連続。現地での撮影開始後は、日米間の撮影スタイルの違いを含めた様々なトラブルに見舞われるも、最後は『シン・ゴジラ』の如く日米が一致団結して困難に立ち向かったそうです。また、しじみさんの迫真の殺され演技へ、あらためて監督からの称賛もありました。映画のラストシーンでは、偶然、カリフォルニアに雪が降り、演出に花を添える形に。現場では時として、このような意図しない偶然の奇跡が起こると言われ、それを多くの映画人は「映画の神様の仕業」と言いますが、まさしくこの時、朝倉組の現場には映画の神が舞い降りていたのでしょう。 ここで2013年の監督作『Hide and Seek』の上映。 こちらは朝倉監督が自費を投じて、製作した短編ホラー。『クソすば』では、全編アメリカロケの血まみれスラッシャーでしたが、本作は逆に日本家屋が舞台で、流血なしの心霊系ホラーで挑みました。陽光が照りつけ、干されている真っ白なシーツがなびく外の明るさと、襖を閉めただけで、日中でも闇へと変貌する日本家屋の持つ不気味さ。明暗の対比が素晴らしい。『クソすば』の経験を復習するための製作と仰ってましたが、確実に演出力が向上しています。 ここで一旦前半終了として休憩タイム。休憩中に僕はとあるVHSソフトのパッケージをご紹介しました。それは『レイザーバック』『ホワイトトラッシュ〜その日暮らし〜』『追想 愛と復讐と男の闘い』の3本。実はこの3本は以前、朝倉監督に当店でレンタルしていただいたことがある作品です。『クソすば』製作に際し、バカなアメリカ白人をリサーチしなければと『ホワイトトラッシュ』のビデオを探されたものの、どこにも見つからず、行き着いた先は当店だったとのことです。合わせてレンタルいただいた『レイザーバック』はオーストラリア製の巨大イノシシ(?)が暴れまわるモンスター映画。ここで話は、『レイザーバック』の監督ラッセル・マルケイが手掛けた『バイオハザード3』の話題へ。誰もがゾンビホラーと認識している『バイオ3』を朝倉監督はスラッシャー映画と分析。その観点と分析力は流石です。 『レイザーバック』『ホワイトトラッシュ〜その日暮らし〜』『追想 愛と復讐と男の闘い』 どれも名作です。 そして、後半戦のスタート。もう1人のゲスト、篠原三太朗監督の登場です。 本名は篠原美里さんで、「三太朗」は芸名(幼少時、お祖母さんから、そう呼ばれていた)。あんまりにも各映画コンクールに落選するため、名前を変えようと思い立ったとか。そのおかげか新作『ニクノクニ』は学生残酷映画祭2016でHIGH BURN VIDEO賞/審査員特別賞を受賞したんですから、名前というのは大事です。もちろん本当は応募した作品が優れていたからなのは言うまでもありません。 まずはお客さんへの名刺代わりにこれまでに製作した短編自主映画集を上映。白石晃士監督に影響を受けたフェイクドキュメンタリーもありましたが全体的にはスプラッタや人肉食をテーマにしたものが多く、監督に伺うとホラーが大好きとのこと。その原点は、幼少時より、父親にグログロなホラー映画を何度も見せられるという、英才教育にありました。特に小学校低学年の頃に観た『悪魔のえじき/ブルータル・デビル・プロジェクト』(『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のパチモンぽい邦題ですが、内容は孤島を舞台に殺人集団やキチガイ博士が暴れまわるお話)に天啓を受けたそうで、 こんな残虐スプラッタなドイツ映画(しかも劇場未公開)を人格形成時に観たら、もう将来は決まったようなもんです。他にも『ゾンビ3』が好きという素晴らしい感性の持ち主で、その偏愛ぶりは聞いてるだけで涙が出そうになりました。 お客さんへの紹介が済んだところで、『ニクノクニ』の上映。この映画、説明が難しく、人肉食のラブストーリーにスラッシャーやスラップスティックコメディまでぶち込まれた闇鍋状態の映画で、かといってトッちらかることもなく、最後は1本筋の通った着地を見せます。出演俳優の急遽降板により、自身で演じることにしたアクティブさも学生映画として二重丸。流血や人体破壊の特殊メイクも自身で本から学んだとのこと。音楽の使い方もよく、エンドクレジットで流れていた歌(ネットで活動するバンドの曲とのこと)はガーリーサウンドに寄りながら、メルヘンまではいかない軽快さが絶妙。底抜けに明るいながらもイビツな作風にマッチしていました。今回が篠原作品とのファーストコンタクトだったお客さんがほとんどだと思いますが、皆あらたなる才能を感じ取ったはずです。 イベント終盤には、朝倉監督、篠原監督を交え、スプラッタホラーの未来を討論、、したかったのですが、時間が足りずに詰めた話ができず。また、朝倉監督の『きみをよんでるよ』も当初は上映を予定していたものの、時間が押してしまったことと、作風的もスプラッタやホラーではない関係で上映を行いませんでした。その代わり、非公開設定でWEBにアップされている作品動画URLのパスワードを監督が来場者の方々にツイッターを通して、お送りするという大変太っ腹なサービスをすることに! よきせぬ形ではありましたが、結果として監督と来場者の皆様の交流の場を設けることにもなりました。朝倉監督に感謝です! 19時30分頃から始まったイベントは23時頃まで続き、3時間を超える長大なトークイベントとなりました。本当は他にもいろいろな話題やコンテンツがあったんですが、その辺は割愛させていただきます。一観客として来ていた、しじみさんはイベント後、久しぶりに再会できた朝倉監督と厚い抱擁をしておりました。 朝倉監督映画のファンにとっては、普段聞くことができない、濃密な話をお楽しみいただけたのではないでしょうか。また、篠原三太朗監督という逸材の発見。日本におけるスプラッタホラーの今後を考える上でも今回のイベントは非常に有意義だったと思います。 来場いただいた皆様、登壇していただいたゲストの方々、本当にありがとうございました!! ↓イベント終了後に撮った記念写真(しじみさんのツイッター「@chiccch」より) (左から)切通理作さん、カセット館後藤健児、朝倉加葉子監督、しじみさん ■2016/9/12 映画狂の祭典!カナザワ映画祭2016いよいよ開催! 映画狂の祭典、日本で一番攻めの姿勢を貫くロックな映画祭「カナザワ映画祭」が今年10年目にしてファイナルと銘を打ち、いよいよ今週末より開催されます(開催期間:9月17日〜25日)。 カナザワ映画祭2016公式サイト そこで今回は昨年の「カナザワ映画祭2015」レポートをここに掲載いたします。 ※本文はメルマガ『映画の友よ』への寄稿文を一部加筆したものです。 --------------------------------------------------------- 先月、9月19日(土)〜9月23日(水)の期間中、石川県金沢市で「カナザワ映画祭2015」が開催されました。日本未公開の新作やDVD化もされていない過去のカルト作等、「本当にここでしか観られない」作品が多数上映された映画祭。昨年の「カナザワ映画祭2014」リポートに引き続き、今年もこのムービーフェスティバルの模様をお届けいたします。 ◇東京でもお目にかかれないレア作多数の恐るべき映画祭 カナザワ映画祭は石川県金沢市で「かなざわ映画の会」が毎年主催している、2007年に始まった映画祭。「かなざわ映画の会」代表の小野寺生哉氏を中心に、有志によるボランティアスタッフで運営・開催しています。そのセレクトセンスには目を見張るものがあり、「史上最も怖い映画」として伝説になっている『シェラ・デ・コブレの幽霊』(TVドラマのパイロット版で、日本では地上波放送されたのみ)の野外上映を実現させたり、俳優クリスピン・グローヴァーが監督した「It」シリーズを、本人立会いの下でしか上映できないため、グローヴァー本人を招いての日本初上映(かつ現時点で唯一の日本上映)を成し遂げた、驚くべき映画祭。 昨年はポール・ヴァーホーヴェン特集や新人オールナイト(現在、都内で公開中の『SLUM-POLIS』もこの時、上映されました)等、盛りだくさんの内容でしたが、今年は昨年以上にパワフルなラインナップとなりました。 ◇今年はハードすぎる5日間開催! 今年はシルバーウィーク連休にあてた5日間の開催。いくつかの作品は「爆音上映」と呼ばれる、大音量環境での上映です。「爆音上映」とは、映画評論家の樋口泰人が今は亡き吉祥寺バウスシアターにてスタートさせた上映企画で、音楽ライヴ用の音響セッティングを用いて、まさしく「爆音」としか形容できない大音量で映画を流します。シネコンのドルビーサラウンドシステムとは別次元の破壊的なサウンドは既に何度も観ているはずの作品を全く違った、新しい映画として感じさせる脅威の上映方式。 本映画祭ではいくつかの特集が組まれており、メインテーマともなる特集は「田舎ホラー」。簡単に言えば「都会人が田舎へ行ったら、常識の通じない田舎者にヒドイ目に遭わされる」という内容です。こう聞いて誰もが真っ先に思いつくのが『悪魔のいけにえ』(75)。映画祭初日では、この大傑作を4Kの鮮明画質かつ爆音で上映。殺人鬼レザーフェイスが奏でるチェーンソーのエンジン音は爆音で聴くと、鼓膜がビリビリ震える殺人音と化しており、映画が凶器になることを初めて知りました。 初日は他にも、原始人が火を求めて、部族抗争や猛獣との戦いを繰り広げる『人類創生』(81)(原題は「QUEST FOR FIRE」)、脳が退化し、果ては人肉食に至る奇病持ちの一家が暴れる『スパイダー・ベイビー』(68)、山に出かけた若者たちが悲惨な目に遭う、直球の田舎ホラー『山の一家』(80)、そしてジョン・カーペンターの最高傑作との声も高い『要塞警察』(76)と初日から飛ばしてくる濃い目のラインナップ。どの作品も盛況な大入り。 ちなみに今回、僕はサポーター(一口、1万円で特典多数あり)になったので、上映前にはサポーターラウンジで茶菓子を摘みながら、他のお客さんと談笑しつつ開場を待つVIP待遇を味わえました。また、映画祭・英語版チラシの一部作品紹介英訳をやらせていただく等、いつも以上に映画祭にコミットした年となりました。 ↓上映会場の様子(金沢駅近くの都ホテル地下)。サポーター部屋では次回上映作の開場まで、まったりくつろげます。 夜にはお待ちかねの野外上映。今年は金沢・横安江商店街の一角を借りての上映となります。綿菓子やフランクフルト売りの屋台も出店され、会場はさながら縁日のよう。集まったのは映画ファンだけではありません。地元の親子連れの姿も多数見かけました。着ぐるみのキングコングの首を外そうと、子供たちが幾度もジャンプしてコングに襲撃をかける様は微笑ましい。 上映される作品は『キング・コング』(1933年のオリジナルバージョン)。今観ても、「手に汗握る興奮」という言葉がしっくりくる傑作。未開の島、太古の恐竜、謎の部族と冒険ロマンに溢れる展開、そして人間的親しみのカケラもないイッちゃった目つきをしたコングの、荒々しい魅力。果たして、この戦前の白黒コマ撮り怪獣映画は、現代の妖怪ウォッチキッズの目にどう映ったのか? 子供たちの楽しそうな表情がその答えでしょう。 ↓野外上映会場となった、横安江商店街。 初日の上映はまだ終わりません。今年は北陸新幹線開通にも伴い、例年以上に金沢を訪れる観光客が急増し、どこの宿も満室で予約が取れない状態。そのため、宿が取れない人も安心な覆面爆音オールナイトが用意されています。観客(宿泊客?)しか内容が分からないシークレット作品の爆音上映3本立て。僕は前日からの夜行バスで体力を消耗しつくているため、残念ながらチケットは買っておらずパス。僕も金沢駅周辺の宿は取れず、隣駅から徒歩2Kmのインター近くにある、トラック野郎御用達の食堂兼簡易宿泊所に泊まりました。 ↓食堂兼簡易宿泊所。ただのラーメン屋にしか見えませんが、ここに泊まったんです。 ◇2日目は中国とインドの日本未公開作2本立て! 2日目の初回上映は『ゼロ歳からの映画館』。これは子供たちに向けて企画された上映イベントで(小学生以下は無料)、NHK「おかあさんといっしょ」で演奏したこともあるメンバーのミニライブや無声映画の生伴奏つき上映が楽しめます。貴重な戦前アニメーションが観られる、大人の映画ファンにも堪らない内容。 2本目は、『ブラック・エース』(72)。都会のスマートなヤクザ(リー・マーヴィン)が借金回収のために訪れた田舎で、王のように振舞う肉屋(ジーン・ハックマン)と対決するバイオレンス作。常にオシャレスーツに身を包み、誰にでも真摯な態度で接するリー・マーヴィンに惚れ惚れ。ジーン・ハックマンの手下が皆、鍬や草刈機等の農耕器具で襲い掛かってくるのがユニークです。本作はビデオでしか出ていないため、今回の高画質スクリーン上映は貴重でした。 都会人が田舎の地元民とトラブったことから、命がけのサバイバルを強いられる、田舎ホラーの元祖的作品『脱出』(72)とトークイベント『平山夢明×牧野修トーク』に続いては、日本未公開のレア作上映です。 中国映画『無人区』(2013)は中国版マッドマックスの呼び声もある、本格アクション。中国映画と言っても、日本人に馴染みのある香港を舞台にした所謂「香港映画」ではなく、大陸側が舞台の「大陸映画」。最近では『薄氷の殺人』(2014)も大陸映画にあたります。荒涼とした大地と場末感のある家屋。ジメッとした人間関係が織り成すいびつなドラマは香港映画にはない、独特の雰囲気が。『無人区』はそんな大陸映画のひとつです。物語は都会の悪徳弁護士が田舎の地元民と些細なトラブル(これもか)を起こしたことから、荒野のガソリンスタンドでボッタくられたり、極悪犯罪者兄弟に追い回される内容なんですが、『マッドマックス』ばりのカーアクションが始まったと思いきや、コーエン兄弟映画を想起させるユーモラスな犯罪サスペンス劇になったりと掴みどころのない不思議な映画。 出てくる人物は皆狂っていますが、家族や仲間は大切にし、仲間がやられると相手が誰であろうと仇討ちのためにとことん追いかける義侠心に厚い奴らなのも面白い。道中知り合った女を助けるため、改心した弁護士がカーナビを装備した馬(本当にそんなのが出てきます)に乗って、大地を疾走する様はどの国の映画でも観たことがありません。何でもありで面白い、この映画自体が「カナザワ映画祭」そのものだと言ってもいい摩訶不思議な傑作。 続いてはインド映画『印度国道10号線』(2015)。今年の3月にインドで上映されたばかりの最新作を緊急上映。大都会デリーに暮らすエリートカップルの夫婦が、ドライブ旅行先の田舎で目撃してしまった名誉殺人(婚前性交渉や違うカースト間での結婚等、不貞を働いた家族を殺害する行為。近年は国際的にも重要な対応課題になっています)。逃げるカップルと追う地元民のデッドチェイスが展開するバイオレンス映画です。インド映画と言っても、歌って踊ってみんなハッピーなミュージカルではなく、最初から最後までシリアスな展開が続く。暴力描写が半端でなく、血ヘドを吐くまで殴りつけ、無理矢理に毒を飲ませようとする凄惨なリンチシーンには目を背けたくなります。 地元民たちは快楽でやっているわけではなく、教えに従って仕方なく殺人を行っているのも厭な感じが残る。助けを求めに駆け込んだ警官さえもグルだった恐怖はまさに田舎ホラー。地元の警官に自身のカーストを訊かれた都会人の女が答えられず、嫌味を言われるくだりは、都会と田舎の間に横たわる緊張を感じさせる秀逸なシーン。クライマックスでは、それまで追い詰められていた女が逆襲する側となり、地元民たちを血祭りに上げていく因果応報な展開を見せますが、痛快さより暴力の空しさが際立つ、これまた厭なラスト。僕が今回の映画祭で観た完全新作では、これが一番のお気に入り作となりました。 ◇3日目は、本物の不良たちによる富士宮バイオレンス映画に驚愕! 3日目はメル・ギブソン特集から。まずは、伝説のシリーズ一作目の『マッドマックス』(79)。近年、流行っている、ただ音量が大きいだけの「なんちゃって爆音」とは一線を画す、元祖爆音上映の意地を見せた本作の爆音。唸るV8エンジンや放たれるショットガンの咆哮には、何度も本作を観ているはずの観客も席から飛び上がりそうになる程のショックを感じたと聞きます(残念ながら僕は未見)。 全編マヤ語で挑んだ、入魂の監督作『アポカリプト』(2006)とトークイベント『宇多丸×高橋ヨシキトーク』に続いては、本映画祭の目玉作品上映です。 これがプレミア上映となる『孤高の遠吠え』(2015)は若干25歳の新鋭・小林勇貴監督による問題作。小林監督(『キング・コング』野外上映でコングの着ぐるみの中にいたのは彼)は昨年のカナザワ映画祭2014の「期待の新人オールナイト」にて上映された、不良たちの饗宴『NITGHT SAFARI』(観客投票で僕はこれに票を投じました)の監督です。『孤高の遠吠え』も『NIGHT SAFARI』と同様に、静岡は富士宮を舞台に本物の不良たちが大挙出演(総勢46名の不良の内、20名が逮捕されているというハクがついています)。 物語は、少年たちが悪い先輩から原チャリを売りつけられ、不良の世界へ入り込んでしまう所から始まり、その後、窃盗団やヤクザを巻き込んだ、凄惨な流血抗争へ発展。製作は基本ゲリラ撮影で行われましたが、住宅街で撮る時は迷惑をかけないよう不良たちに菓子折りを持たせて住民にお伺いし、某巨大商業施設等では完全無許可というアンチぶり。無許可だから凄い、偉いということはありませんが、それでも公道をノーヘルでバイクや原チャリが疾走する解放感には震えるものがあります。 『キッズ・リターン』(96)でも描かれたテーマ「自由と社会の掟」が、劇中の悪ガキ共の刹那の疾駆に確かに体現されていました。無駄な長回しのない、テンポの良いカット割によって、自主製作映画で120分の長丁場でも全く飽きさせない仕上がり。不良同士のケンカシーンでは、不良映画や不良漫画でよく見かける、延々殴りあう「いかにもな演出」ではない、無言で短いリアルファイトが描かれます。監督は弟が構成員3人の暴走族で副総長をやっていたり、友人が不良に拉致られてリンチされたこともあると語っていたため、さぞバイオレントな人なのかと思っていたのですが、打ち上げの時に少しお話をさせていただいた際、非常に物腰が穏やかで紳士な青年でビックリしました。しかし、その口から出てくる、映画への情熱はロックそのもの。今後も新作を追っていきたい監督です。 ↓アンケート用紙。「近くの席の人の態度はどうでしたか?」等、笑える質問が。 3日目の締めは、メル・ギブソン監督作『パッション』(2004)。残酷拷問ショー映画としても名高い作品です。気にはなりましたが、『孤高の遠吠え』の衝撃でグッタリしてしまい、スルーして宿に戻りました。 ◇4日目 あの傑作ホラーが本来の形で蘇る! 4日目からは「彼方より…」と題して、異界から忍び寄る恐怖をテーマにした映画たちの特集。作家クライブ・バーカーが監督を手掛けた『ミディアン 完全版』(90)に始まり、ジョン・カーペンターサウンドが耳から離れない『マウス・オブ・マッドネス』(94)、フランク・ダラボンが50年代のカルトホラーを鮮やかに蘇らせた快作『ブロブ』(89)とホラー尽くし。そして最後に上映されるは『霧』(2007)。これは、スティーブン・キング原作で映画化された邦題『ミスト』の白黒バージョン。監督のフランク・ダラボンが本来上映したかった、この白黒バージョンですが、日本ではDVDの特典になることはあっても、スクリーン上映はされず、今回のカナザワ映画祭での上映がおそらく初となります。カラーでも普通に傑作でしたが、モノクロームになることで時代を超えた永続性を獲得しているように思えました。 モンスターの潜む濃霧に覆われたスーパーマーケットに取り残された人々を描く『霧』。恐怖にうち震える人々に、憎悪と疑心暗鬼を振りまき、さらなる災厄をもたらす最低最悪の人物が登場しますが、そいつが裁きを受けたシーンでは場内から拍手が。観客の気持ちが一体になった瞬間です。こういう予期せぬサプライズもカナザワ映画祭の楽しみ。 ◇最終日 人類の行く末を感じるラインナップ 最終日も異界からの侵略者を描いた映画群。70年代〜80年代のアメリカB級映画を牽引したラリー・コーエンが監督・脚本を務めた『空の大怪獣Q』(82)と『神が殺せと云った』(76)はどちらもニューヨークを舞台にした、愚かな人間たちと神を巡る物語。 続いてのトークイベント『稲生平太郎×高橋洋×白石晃士 トーク』は僕が唯一観覧したトーク。映画の中の「タコ」についてのタコ談義(映画における、タコとイカはどう違うのか? 何故、映画『海底二万里』は原作の巨大タコを巨大イカにしたのか?)や、フェイクドキュメンタリーの巨匠・白石晃士監督を交えてのフェイクドキュメント談義はとても興味深く拝聴。 トークイベント後は、未DVD化のレア作『怪談・クォーターマス教授と地獄の穴』(67)と乗っ取り型侵略SFホラーの傑作『SF/ボディ・スナッチャー』(79)で締められました。原始時代に火を求める旅物語『人類創生』から始まり、外宇宙からの新たな価値観に染め上げられていく『SF/ボディ・スナッチャー』で終わった今回の映画祭。どの作品にも共通しているのは、異文化・異文明同士の緊張と衝突によって生じる、暴力。そこに生まれる物語。暴力によってしか、コミュニケートできなかった人間たちの悲劇を見ていると、これからの人類の行く末に思いを馳せてしまいます。 今回は例年より長い5日開催となり、僕は計14本の作品を鑑賞しました。ハズレだったものは一つもなく、レア作は文字通り貴重な鑑賞となり、既に何度も観ている映画も上映環境や客席の空気感により、あらたな映画として立ち上がり、レアな映画体験となりました。来年も開催の折には是非とも足を運びたいと思います。 カナザワ映画祭2015 9月19日(土)〜23日(水・祝) 金沢都ホテル B2Fセミナーホールにて開催。 公式サイト ■2016/6/26 愛に殺された女が求めるものは、情を超えた絆のみ 井土紀州監督『ラザロ LAZARUS』三部作 4月2日(土)、東京・東中野のポレポレ坐でリバイバル上映された『ラザロ LAZARUS』三部作を観てきました。数年前に初めて鑑賞して以来の再見となりましたが、2016年の現在に観直すとまた違った感触を受け、とても興味深く楽しめました。今回はこの『ラザロ LAZARUS』三部作について、お話させていただきます。 ※引用した劇中セリフや製作状況などの記述については、『ラザロ LAZARUS』パンフレット(編集・発行 松島政一(現代映像研究会))を参照。 ※ネタバレに近い形でストーリーを解説しています。あらかじめ、ご了承ください。 ◇すべては学生のひと言から始まった 本作は、ある学生のひと言から始まりました。2003年、京都国際学生映画祭の運営を行う学生スタッフが、映画祭にて上映する作品の製作を発案し、脚本家・映画監督の井土紀州に監督を依頼。 井土監督は学生の頃から自主映画を作り始め、1998年に製作した8mm作品『百年の絶唱』が劇場公開され、話題に。映画製作集団「スピリチュアル・ムービーズ」を立ち上げ、「映画一揆」と称した、自作の上映イベントも実施しています。 また、脚本家として多数のシナリオを手掛け、瀬々敬久監督『黒い下着の女 雷魚』(97)などの優れたピンク映画のシナリオも多く執筆。自身の監督作も含め、その作品は閉塞した社会状況の中、鬱屈した日々を送る人間たちの心の澱みや、あがきを捉えたものが多く、うらぶれ感や、やるせない終わり方の後味は観た者の心に深々と入り込んだあと、消えずに残り続けます。 井土監督は学生スタッフからの依頼をはじめ断ったものの、学生の熱意に動かされ、承諾することに。学生スタッフと井土監督により、脚本執筆が開始。構想の元となったのは、福岡で実際に起きた看護師たちによる保険金連続殺人事件(『黒い看護婦』の題でノンフィクション書籍化され、フジテレビによるドラマ版もあり)。犯人たちは全員女で、一切男が介在しないその特異性に井土監督は興味を持ったと語っています。 予算もなく、スタッフのほとんどが学生、経験のあるプロの役者もいない制約の中で、作品は完成。『枯れた水』と題された映画は同映画祭にて上映され、2004年に追加撮影を行い、『蒼ざめたる馬』として生まれ変わりました。 この時点では、まだ三部作の構想はありませんでした。なお、本稿では『ラザロ LAZARUS』三部作の製作裏事情については簡単に触れる程度に留め、完成した各作品の物語性に焦点を当てていきます。 ◇第一作『蒼ざめたる馬』(2003年撮影 翌年追撮) シャワー室に倒れている男の死体。それを見つめる20代の女たち。ミズキ、リツコ、そしてマユミ。死体の男・尚志はリツコの恋人で、彼女たちは尚志の死体を山中に埋めに行きます。アジトに戻ったあと、尚志の貯金通帳を見て、こう口にするマユミ。 「見てみ、尚志の通帳。たかがハタチそこそこの大学生が、口座に600万や。あたしらが汗水流して働いても、なかなか貯まる額やないで」 マユミは続けて、こう言います。 「これが現実や、あんなどうしようもないアホでも、資産家の家に生まれただけでこんだけの金を持ってる。人間はな、生まれつき、不平等に出来てるんや」 3人の女はマユミをリーダーに男を引っ掛けて殺し、資産を奪ったのです。彼女たちは続いて、尚志の友人である陽介をターゲットに定める。3人の中で年齢的にも精神的にも最も幼いミズキが既に陽介と付き合っている最中です。 ミズキはカネを奪う目的、つまりはいずれ殺すために陽介と交際しているものの、内心では彼のことを本気で好きになっています。 しかし、命の恩人でもあるマユミの命令には逆らえず、陽介を罠にかけて部屋へ誘い込み、彼はマユミによって首を絞められます。尚志と同様、山中に陽介の体を埋めようとする中、彼がまだ生きていることに気づくミズキ。やはり陽介を殺したくないミズキはマユミと争い、始めはマユミ側だったリツコも殺しをやめるよう説得にかかります。 やがて根負けしたマユミはミズキにこう言い残し、去って行きます。 「……あたしの亡霊は何度でも現れるようになるで」 ざっとストーリーを追いましたが、「女の犯罪」「格差社会」「拝金主義への抵抗運動」、そして「謎めいた悪女」と三部作に通低する要素は本作にすべて現れています。 冒頭、男の死体を見下ろすマユミの顔は『ラザロ LAZARUS』三部作のポスターやチラシ、パンフレットにも使われるメインビジュアルとなっておりインパクト大。 この虚ろな表情は単に心ここにあらずとも言えない、我々とはまったく違う種類の心を獲得してしまった、そんな恐ろしさを感じます。 本作完成時点で三部作の構想はなかったにも関わらず、この顔が3つの作品すべてを眺めて総括しているように見えてくるのが不思議です。 マユミを演じる東美伽は、学生時代より自主映画への出演を続け、本作のオーディションで主演の座を獲得。プロとしての本格的な経験はなかった彼女が現場での幾度とないリハーサルを経て、マユミを乗り移らせたその姿は、まさに降霊の儀式で異界の怪物を身体に宿したようにも映ります。 他の出演作に古澤健監督『先生、夢間違えた』(2007)や白石晃士監督『オカルト』(2009)があり、『オカルト』の冒頭で通り魔殺人を目撃する旅行者と言えば、白石映画ファンはすぐに想起できるのではないでしょうか。 「あたしの亡霊は何でも現れる」その言葉どおりにマユミは再び日本社会に攻撃を仕掛けるため、現出します。今度はさらに深い悪意を抱えて。 ◇第二作『複製の廃墟』(2004年撮影) 日本大学のシネマ研究会に所属していた学生数名が同大学での井土監督によるシナリオ講義に(モグリで)出席しており、その学生らが企画した井土監督作の上映会打ち上げにて、『蒼ざめたる馬』の続編製作の話が持ち上がりました。 その際、第三作『朝日のあたる家』のプロデューサーとなる西村武訓氏も同席しており、東京で第二部を、西村氏の出身である伊勢で第三部を作ろうという壮大な企画が立ち上がり、かくしてマユミをめぐる物語は全三部作の映画となることになったのです。 東京編となるこの第二作目は、社会に混乱をもたらすために犯罪を繰り返すマユミと、それを追う刑事たちを描いたノワールものの作品となっています。 『蒼ざめたる馬』の続編という位置づけですが、マユミ以外には共通する登場人物や直接つながりのあるものはありません。前作でマユミは金持ちの男を殺して財産を奪うという手段を取りましたが、本作ではニセ札を大量にばら撒き、日本経済に打撃を与える経済テロを仕掛けます。 映画が始まった時点でテロ活動は行われており、捜査が難航していることが若い刑事・相沢の口から語られます。 このニセ札というアイデアが面白い。これが例えば、クラッキングを駆使したサイバーテロだとどうにも盛り上がりに欠けます。実際に触れられるニセ札だからこそ、生々しさもあり、それらを街中にバラ撒くことで、直接社会を攻撃している実感が出てきます。 また、現在の日本ではクレジットカードやネット上の仮想通貨もわりと普及していますが、それでも欧米ほどではないですし、今でも現金主義が根強い。日本特有の恐怖感あるリアリティとも言え、そういった意味で本作を欧米の観客が観たらどういう反応をするのか興味深いところです。 事件を追うのは二人の刑事、相沢と松村。先輩刑事の松村を演じるのは、映画プロデューサーの小野沢稔彦。足立正生監督『幽閉者(テロリスト)』(2007)や今年公開された足立の新作『断食芸人』のプロデュースを手掛けました。 対するマユミには今回も共犯者がおり、共に犯罪に手を染める女・ナツエ役に伊藤清美をキャスティング。『OL暴行汚す』(86)など数々の傑作ピンク映画を代表作に持つベテランが本作を支えています。 ナツエはマユミに同性愛の感情を抱いており、また若い刑事・相沢も捜査の過程で知り合ったマユミに犯人の疑惑を持ちながらも男として心を動かされるという、三角関係の様相を見せます。 相沢が自分を調べ始めていることを知ったマユミは彼の自宅へ行き、罠にかけて殺害。その後、マユミとナツエの隠れ家で、ナツエから気持ちを伝えられたマユミはこう口にします。 「あたし、恋とか愛とか、そんな余計な飾り付け全部剥ぎ取って、それでも最後に残るような絆しか信じられへんの」 ナツエは切り返す。 「それで、あのデカも殺したの?」 愛など信じられないと言うマユミ自身、刑事の相沢に気持ちがなびいていたことを知っていたナツエ。 マユミは叫ぶ。 「好きとか嫌いとか、気持ちとか心とか、そんなもんでしか繋がれへん関係はとっくの昔に捨てたんや! 例え、心で憎しみあっても共通の目的のためなら一緒に行動できる、あたしはな、そんな絆しかいらんねん!」 このセリフに、マユミが他者に求めるものや彼女の苦悩、闘志の根源が見えます。人と人との関係は「情け」で成り立っており、つまり人情こそが集団動物である人間を規定するものとも考えられています。近年では、「絆」という言葉がメディアを通してやたらと発せられておりますが、そのどれもが人の感情に訴える伝え方。 マユミは「感情」と「絆」のつながりを徹底的に否定し、革命の志士のように目的だけで結ばれた人間関係のみを求める。何よりも感情が尊きものとされ、映画や小説でも感動をウリにしないと売れないと言われる昨今、マユミのこの言葉は観るものの心にグサリと突き刺さる刃のような鋭さがあります。 しかし、社会への復讐心もまた感情であり、その感情があるからこそマユミやその考えに同調するテロリストたちはつながることができる。もちろん、マユミ自身、そのことに気づいているはずで、怪物と人の間を往来する彼女の孤独な心の葛藤が深いドラマとなっています。 『複製の廃墟』は全三部作中、最もスケールの大きな作品で、当初のシナリオでは、ニセ札作りに利用される老人が戦争中、陸軍登戸研究所(風船爆弾や怪力光線などの研究開発、経済謀略戦用として紙幣の偽造まで行っていた軍の研究所)に在籍していた過去を持つ設定がありましたが、決定稿からは省かれています。 井土監督のイメージでは、大量のニセ札が詰まった風船爆弾が東京都心で破裂し、首都がパニックに陥るビジョンもあったものの、予算がかかり過ぎるために実現には至りませんでした。 僕は『八つ墓村』(77)で描かれたような、過去の怨念が現代に蘇り、復讐を遂げる物語が好きで、また軍の極秘実験やマッドサイエンティストが出てくる作品にいかがわしい魅惑を感じてしまいます。 そのため、『美女と液体人間』(58)や『ガス人間第一号』(60)、テレビドラマ『怪奇大作戦』など、戦争中の秘密実験が残した負の遺産が現代に呪いをもたらす作品はまさに大好物でゾクゾクします。近年では、白石晃士監督『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!史上最恐の劇場版』(2014)で、戦時中に日本軍が行っていたオカルティズムあふれる極秘兵器開発プロジェクトが登場したのにはテンションが上がりました。『複製の廃墟』でも、恨み節と旧日本軍の秘密兵器の融合を観たかったなと夢想してしまいます。 相沢の残した手掛かりを元にマユミを迫う刑事・松村との対決を経て、マユミはどこかへと去っていきます。そして、彼女の物語は次の作品で完結します。 ◇第三作『朝日のあたる家』(2005年撮影) 前述した日本大学での井土作品上映会の打ち上げ時に、『複製の廃墟』とともに製作の企画が立ち上がりました。 製作を願い出た西村武訓氏は、故郷である三重県伊勢市を舞台にした地域活性映画として考えており、地元で製作資金を集めようとするも難航。最終的に複数の人々からの援助や「伊勢志摩フィルムコミッション」の後援もあり、製作開始にこぎつけました。本作は三部作中で予算面でもスタッフの人員面でも、最も安定した体制で作られています。 『朝日のあたる家』は前二作から時間を遡り、平凡な女だったマユミがいかにして怪物と化したのかが描かれるエピソード1的な作品です。 物語の舞台は三重県伊勢。側溝会社で働くマユミはどこにでもいる普通の女。両親はおらず、東京で画家を目指す妹のために夜はスナックで接客をして仕送りをする日々。平穏な生活は、妹の直子が東京から帰ってきた日を境に終わりを告げます。 マユミは、数年で早々夢を諦めて帰郷した直子をなじり、口論となりますが、姉妹二人だけの家族ということもあり、お互いに折れ合います。ある日の夜、直子はタバコを買いに外へ出た際、知らない男から声をかけられます。 男はマユミの恋人・梶川。直子がマユミのコートを着ていたので、マユミだと勘違いしたのです。 物語は、この3人の男女を中心に進んでいきます。直子役の堀田佳世子は三重県出身。本作のオーディションにより、選ばれました。梶川を演じる小田篤も三重の出身で、井土作品には他にも『行旅死亡人』(2007)、『犀の角』(2010)、『マリア狂騒曲』(2013)に出演。最近では鈴木卓爾監督『ジョギング渡り鳥』(2016)に出ていたのが記憶に新しい。 マユミの両親はかつて商店街で店を営んでおり、そこは今では閉じた店舗ばかりの所謂シャッター商店街となっています。梶川は大企業が経営する大型スーパーの副店長を任されており、そのことを知った直子は怒りを露にします。 「ウチの商店街があんなに寂れてしもたのも、お母ちゃんが病気になって死んだのも、ぜんぶあいつらのせいやんか!」 直子の気持ちを知った梶川は釈明しようと、マユミと直子を海のクルーズに誘います。憤る直子に社会のしくみを説明する梶川。昔、地域の小売店を保護する大店法があった頃はよかったが、日本に企業進出したいアメリカの圧力で法撤廃されてからすべてがおかしくなったと梶川は言う。直子は納得できずに喚く。 「一番悪いのって誰なんですか? アメリカですか? あたし一体、誰を憎めばいいんですか?」 グローバリゼーションに飲み込まれていく地方と個人商店。ポレポレ坐でのリバイバル上映後のトークショーで、井土監督が『朝日のあたる家』のみ時代性がついてしまったと語っているとおり、本作には当時(2005年に撮影)の社会状況が見て取れます。 現在では大型店すら潰れて、物販流通はネットに取って代わられる世の中となっており、どん詰まり感は更に加速しています。 だからと言って、本作が古く見えるというのではなく、当時の状況を分かっていながら、どうすることもできずにもっと悲惨な状況を許してしまった我々の無力さが浮き彫りになります。 梶川の誠実さを見て、彼への態度を変えていく直子。ある日、直子はマユミがスナックへパートに出ている隙を見計らい、梶川を自宅へ来るよう仕向けます。自分の描いた絵を見せながら、梶川の身体に擦り寄っていく。誘惑に負け、梶川は直子を抱きしめ、二人はベッドを共にします。 ことの済んだあと、直子は裸で寝ている梶川と自分を携帯カメラで撮影し、マユミにバラされたくなかったら、カネを寄越せと脅迫します。 すべては直子が梶川を試そうと仕組んだ罠。梶川は平謝りするものの、一千万円という途方もない大金を要求され、好きにすればいいと開き直ります。 しかし、直子から会社の上司にもバラすと言われた梶川は隙をついて彼女に飛び掛かり、殴打を重ねた挙句、花瓶で頭を打ちつけます。動かない直子など気にも留めずに写真データを消そうと携帯を操作する梶川。 しばらく後、帰宅したマユミをも梶川は手に掛け、彼女の首をベルトで締め上げます。 「俺が今まで築いてきたもん、こんなことで手放すわけにはいかんのや……」 僕が本作を初めて観たのは2010年頃だったと思いますが、当時、仕事を守るために殺人を犯す梶川の行動が少し理解できませんでした。不倫がバレても大型スーパーの副店長職を失う程度で、そのために人を二人も殺すのかと疑問を持ちました。 ただ、現在ではアリだなと。非正規雇用の未来のない劣悪な待遇、正社員であっても安泰とは言えないものの、それでもまだ生き抜けるチャンスは多い。いい暮らしをするための殺人ではなく、自らが生き抜くための殺人。梶川の行動は容認されるものではありませんが、彼もまた日々追い詰められているギリギリの生活者だったのです。 そういったことを考える中、ふと数年前にアメリカで製作されたバカ映画を思い出しました。その作品、『エグザム:ファイナルアンサー』(2012)は頭のおかしい社長(マルコム・マクダウェル!)に集められた求職者たちが高待遇の職を求め、命をかけて争うデスゲームもの。これは出来も悪く、リアリティ皆無のふざけた映画でしたが、正社員のために殺しにまで手を染めることは現在の日本に おいて、もはやお笑いではなく、現実味を帯びていると思えるようになりました。 映画のラスト、死んだはずの女・マユミは黄泉の国から舞い戻ってきます。肉欲とカネに惑わされた男に妹を、そして自身も殺された女の首には漆黒の痣が残っています(先に製作された『蒼ざめたる馬』『複製の廃墟』でマユミはいつも首にスカーフをしており、その下には痣がありました)。誰もいなくなった寂れた商店街。いつかの賑やかな、ざわめきが聞こえる中、カメラがゆっくりとバック していきます。それは故郷を捨てて、旅立っていくマユミの視点なのでしょうか。 これからマユミの悪意が世界へ向けて拡散していくだろうことを予感させ、映画は幕を閉じます。『蒼ざめたる馬』『複製の廃墟』『朝日のあたる家』の三本を総合して名づけられたタイトル『ラザロ LAZARUS』。「ラザロ」は新約聖書の「ヨハネによる福音書」に出てくるイエスの友人の名で、一度死んだあとにイエスによって蘇りました。 ロシアの作家レオニード・アンドレーエフの怪談小説『ラザロ』(『ラザルス』とも)に登場する、復活後のラザロは死後の世界を見てきたことで性格が変貌し、周囲の人々も去っていき、孤独に陥っていくという恐ろしい内容。この小説は、映画『ラザロ LAZARUS』の重要なモチーフになっていると同作パンフレットに書かれています。 三部作それぞれのストーリーやテイストは異なり、製作状況も、人ない、カネない、時間ない中、マユミという女を軸に一本筋の通った孤独と復讐の物語としてまとまっているのは、プロのシナリオライターとして第一線で長く活躍してきた井土監督のシナリオ術があってのことでしょう(三部作はそれぞれ、井土紀州と各作品のプロデューサーや学生スタッフとの共同脚本)。 ソフト化されておらず、なかなか観ることのできない作品ですが、もし今後上映の機会があった際は、是非ご覧ください。『ラザロ LAZARUS』がリバイバル上映された、東京・東中野のポレポレ坐で、7月に井土監督の初期作品『第一アパート』『百年の絶唱』が8mmオリジナル版として上映されます。こちらもソフト化されていない貴重な作品。足を運べる方は是非ご覧になってはいかがでしょうか。 映画一揆外伝〜破れかぶれ〜 「第一アパート」×「百年の絶唱」8mmオリジナル版上映 7月2日(土)18時30分上映 ポレポレ坐 |
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